日本軍によるアンダマン・ニコバル諸島の占領とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 日本軍によるアンダマン・ニコバル諸島の占領の意味・解説 

日本軍によるアンダマン・ニコバル諸島の占領

(Japanese occupation of the Andaman and Nicobar Islands から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 04:42 UTC 版)

日本軍によるアンダマン・ニコバル諸島の占領(にほんぐんによるアンダマン・ニコバルしょとうのせんりょう)は、1942年昭和17年)3月下旬の日本軍によるアンダマン諸島の占領に始まり[1]1945年8月に大日本帝国連合軍に無条件降伏し、同年9月にイギリスが両諸島を再占領するまで続いた[2]


注釈

  1. ^ 機密聯合艦隊命令作第一号(昭和16年11月5日)
  2. ^ 『大陸命第五百九十八号 命令 一 南方軍総司令官ハ海軍ト協同シ適時「アンダマン」群島方面ノ要地ヲ攻略スベシ/二 細項ニ関シテハ参謀総長ヲシテ指示セシム 昭和十七年二月七日』
  3. ^ 『大陸指第千百二号 指示 大陸命第五百九十八号ニ基キ左ノ如ク指示ス 「アンダマン」方面ニ対スル作戦要領ハ南方軍総司令官、聯合艦隊司令長官間ニ協議決定スルモノトス 昭和十七年二月七日』
  4. ^ 『大海令第十五号 一 聯合艦隊司令長官ハ南方軍ト協力シ「アンダマン」群島方面ノ要地ヲ攻略スベシ(以下略)』
  5. ^ 『大海指第五十二号 大海令第十五号ニ依ル作戦実施ニ関シテハ 聯合艦隊司令長官南方軍総司令官ノ協定スル所ニ依ル』
  6. ^ 『「アンダマン」付近ノ要地ヲ占領シテ速カニ海軍基地及飛行場ヲ確保スルニ在リ』(第25軍と第一南遣艦隊間の陸海軍協定覚書より)
  7. ^ 日本軍が占領する以前のアンダマン島の軍事警察司令官で、英軍の特別作戦部隊・136部隊英語版の指揮下でバクシュ・シンらとともにアンダマン島のスパイ活動に携わった(木村(2001) 90,134-135頁)。
  8. ^ この英軍によるスパイ活動は、ボールドヘッド作戦と呼ばれた。作戦は5回にわたって行われ、マッカーシーらは少なくとも1943年1月、同年12月、1944年1月、同年3月に潜水艦で中アンダマン島に上陸していた(木村(2001) 134-135,291頁)。
  9. ^ ボースはアンダマン島来訪時、前述のスパイ容疑でインド独立同盟のアンダマン支部のメンバーが収監されていたアンダマン刑務所を見学に訪れたが、来島中に特にそのことに言及したりすることはなかった。木村(2001) 89-92頁。
  10. ^ 前述のスパイ事件の被疑者44人は、ロガナダンらがアンダマン島に来島する2週間前に殺害された(木村(2001) 92頁)。
  11. ^ 戦局と輸送事情の悪化を受けて、編成の完結に遅れが出たり、派遣予定だった兵力の一部がマレー半島に止め置かれたりした。木村(2001) 64-66,105頁。
  12. ^ 1944年3月にカーニコバル島の第二飛行場が完成したが、同年6月にインド方面からイギリス軍機が来襲した際には、迎撃する機体を陸海軍とも失くしていた。木村(2001) 103頁。
  13. ^ 1944年6月中旬までに、ペナンの航空兵力はパラオ作戦支援のためほとんど失われて零戦・艦攻30数機中1機を残すのみとなり、さらにインド洋の潜水艦は太平洋戦線と南シナ海方面に取られていたため、1943年末の11隻から1944年4月に4隻、同年8月中旬には1隻を残すのみとなっていた。木村(2001) 66-67頁。
  14. ^ この作戦は、目的を秘すために"に"号演習と呼ばれた(木村(2001) 72頁)。
  15. ^ 岩川(1976)は、化学肥料がないので人糞を使用した結果、アメーバ赤痢が流行したとしている(岩川(1976) 173頁)。

出典

  1. ^ 写真太平洋戦争2巻 1995, p. 221「インド洋作戦/アンダマン諸島無血占領」
  2. ^ 岩川(1976) 165-248頁、長崎(1991) 247-249頁、岩川(1995) 181-182,199頁、木村(2001)
  3. ^ 戦史叢書26巻、585-586頁「ビルマ」
  4. ^ 戦史叢書35巻、325-327頁「ビルマ作戦の再検討」
  5. ^ a b 戦史叢書35巻、327-329頁「ビルマ作戦の発動」
  6. ^ 戦史叢書35巻、430-431頁「第五十六師団の海路輸送への変更」
  7. ^ a b 戦史叢書35巻、449-451頁「印度洋機動作戦の登場」
  8. ^ a b c 戦史叢書80巻、198-200頁「アンダマン諸島攻略、ベンガル湾奇襲作戦の下令」
  9. ^ a b 戦史叢書26巻、587頁「アンダマン」
  10. ^ a b c d e f g 戦史叢書35巻、392-394頁「アンダマン諸島方面攻略発令」
  11. ^ a b c d e f 戦史叢書35巻、545頁「アンダマン攻略作戦」
  12. ^ a b c d e f 戦史叢書35巻、431-434頁「協定第八号と中、北部スマトラ作戦」
  13. ^ a b c d 日本軽巡戦史、215-217頁「ビルマ上陸、輸送作戦(三月)」
  14. ^ a b c 戦史叢書26巻、603-604頁「作戦計画」
  15. ^ #S1702三水戦日誌(6)p.19「昭和十七年三月一日於昭南港 D作戰ニ關スル 第三水雷戰隊司令官/第十二特別根據地隊分遣隊指揮官/歩兵第五十五聯隊第二大隊長 間協定覺書 第三水雷戰隊司令官 海軍少将橋本信太郎/第十二特別根據地隊分遣隊指揮官 海軍大佐川崎晴實/歩兵第五十五聯隊第二大隊長 陸軍大尉林礪三」
  16. ^ 戦史叢書26巻、602-603頁「四 アンダマンの攻略」
  17. ^ a b 戦史叢書26巻、590-591頁「ビルマ及付近要域攻略の発動」
  18. ^ 戦史叢書26巻、595-596頁
  19. ^ 戦史叢書26巻、597-599頁「作戦計画」
  20. ^ #S1702三水戦日誌(4)p.6「(ハ)作戰指導(一)T作戰 第一護衛隊ヲ以テ近衛師團歩兵團、海軍「サバン」基地部隊及同設營隊ノ輸送船六隻ヲ護衛三月八日昭南出撃十二日〇時過無事「サバン」「クタラジヤ」泊地ニ嚮導陸海軍部隊ヲ奇襲上陸ニ成功セシムルト共ニ引續キ揚陸掩護及泊地附近一帯ノ掃海竝ニ海上警戒ニ任ズ 十四日揚陸作業モ概ネ終了セルヲ以テ現地發彼南ニ囘航ス」
  21. ^ a b 戦史叢書26巻、600-602頁「無血上陸」
  22. ^ 戦史叢書80巻、200-201頁「北部スマトラ占領」
  23. ^ #S1702三水戦日誌(4)p.25(昭和17年3月14日項)
  24. ^ a b c d 日本軽巡戦史、217-219頁「ビルマ輸送、アンダマン島(三月)」
  25. ^ a b c 戦史叢書80巻、201頁「アンダマン諸島の攻略」
  26. ^ a b c d #S1702三水戦日誌(4)pp.6-7「(ハ)作戰指導(二)D作戰 第一護衛隊ヲ以テ海陸軍「アンダマン」攻畧部隊及同設營隊ノ輸送船三隻ヲ護衛三月二十日彼南出撃 二十三日未明無事「ポートブレーヤ」沖着奇襲上陸ニ成功セシム 爾後護衛隊ハ揚陸掩護泊地警戒竝ニ「ブレーヤ」港口水路啓開及泊地掃海作業ニ從事スルト共ニ二十四、五、六ノ三日間ニ亘リ陸海軍攻略隊ノ「アンダマン」諸要地掃討作戰ニ協力ス/二十六日泊地水路ノ清掃ヲ終リ輸送船ヲ港内ニ轉錨セシム/二十四日以後連日「ブレーヤ」附近ニ敵大型機一来襲セルモ其ノ都度之ヲ砲撃々退ス」
  27. ^ 戦史叢書26巻、610-613頁「二コ師団以上を輸送」
  28. ^ 戦史叢書80巻、201頁「ビルマ輸送」
  29. ^ #S1702三水戦日誌(4)p.28「(昭和17年3月24日項)「(略)一.朝霧ch9ヲ北方隊ヨリ除キ南方隊ニ編入/二.宏川丸揚陸終了〇一〇〇出港」
  30. ^ #S1702三水戦日誌(4)pp.30-31「(昭和17年3月30日項)「(略)四.朝霧、國川丸、衣笠丸ノ回航護衛」
  31. ^ a b 第12特別根拠地隊”. アジ歴史グロッサリー. 2018年9月13日閲覧。
  32. ^ #S1702三水戦日誌(4)p.27「(昭和17年3月20日項)一、1wg〇八〇〇 20dg(-朝) 1D/19dg、ch9一六一五 川内、由良一八四五 朝霧一九〇〇 夫々「ペナン」出撃|「アンダマン」攻畧部隊ノ輸送護衛」
  33. ^ a b c #S1702三水戦日誌(4)pp.19-21「四参考(ロ)一時指揮下ニ編入サレタル艦船部隊ノ行動」
  34. ^ #S1702三水戦日誌(4)pp.17-19「四参考(イ)麾下艦船部隊ノ行動」
  35. ^ #S1702三水戦日誌(6)pp.1-2「二.兵力部署」
  36. ^ #S1702三水戦日誌(4)pp.19-21「四参考(ロ)一時指揮下ニ編入サレタル艦船部隊ノ行動」
  37. ^ a b c d e 戦史叢書26巻、607-609頁「敵守備兵、無条件降伏す」
  38. ^ #S1702三水戦日誌(4)p.27「(昭和17年3月22日項)二〇三〇 D点ニ於テ1wgト合同|輸送船隊護衛」
  39. ^ #S1611一南遣日誌(1)pp.11-13「(三)軍隊區分 2.四月十日艦隊編制替以後」
  40. ^ #S1611一南遣日誌(1)p.14「(四)作戰指導 (二)「ベンガル」湾北部機動作戰以後 蘭貢「アンダマン」「サバン」島ノ線ヲ第一線防備據点トシ航空兵力ヲ配備シ防備ヲ厳ニスルト共ニ担任海面ニ於ケル交通保護ニ重点ヲ置キ次期作戰ニ備ヘ極力教育訓練ヲ勵行セリ」
  41. ^ 井上ほか(2010) 129頁、木村(2001) 47-53,100-103頁。
  42. ^ 戦史叢書26巻、589-900頁「セイロン島奇襲作戦」
  43. ^ 戦史叢書35巻、458-459頁「セイロン島方面およびベンガル湾機動作戦発令」
  44. ^ 戦史叢書26巻、590頁「ベンガル湾機動作戦」
  45. ^ 戦史叢書80巻、202-205頁「機動作戦」
  46. ^ 日本軽巡戦史、228-230頁「第二次インド洋作戦、中止」
  47. ^ a b 木村(2001) 51-53頁。
  48. ^ 写真太平洋戦争2巻 1995「インド洋作戦方面の潜水艦作戦」
  49. ^ 岩川(1995) 199頁、木村(2001) 53-67,101-103頁、井上ほか(2010) 129頁。
  50. ^ 木村(2001) 89-90頁。
  51. ^ a b 木村(2001) 89-92頁。
  52. ^ 木村(2001) 84-87頁。
  53. ^ 木村(2001) 87-89頁。
  54. ^ 木村(2001) 88頁。
  55. ^ 長崎(1991) 247-249頁
  56. ^ 長崎(1991) 247-249頁、木村(2001) 86頁。
  57. ^ 岩川(1995) 199頁、木村(2001) 50-67,105-107頁、井上ほか(2010) 129頁。
  58. ^ 木村(2001) 60頁。
  59. ^ 木村(2001) 61-67,120-121頁。
  60. ^ 木村(2001) 61,63頁。
  61. ^ 岩川(1995) 199頁、木村(2001) 61-67,105-107頁、井上ほか(2010) 129頁。
  62. ^ 木村(2001) 66-67頁
  63. ^ 木村(2001) 69頁
  64. ^ 木村(2001) 69頁。
  65. ^ 木村(2001) 67-72,107-122頁、井上ほか(2010) 134頁。
  66. ^ 戦史叢書54巻 南西方面海軍作戦 第二段作戦以降、427ページ、Chronology of the War at Sea 1939-1945, p.334
  67. ^ 戦史叢書54巻 南西方面海軍作戦 第二段作戦以降、431ページ、Chronology of the War at Sea 1939-1945, p.365
  68. ^ The Forgotten Fleet, p.204
  69. ^ The Forgotten Fleet, pp.204-205
  70. ^ The Forgotten Fleet, pp.205-208
  71. ^ 戦史叢書54巻 南西方面海軍作戦 第二段作戦以降、586ページ、The Forgotten Fleet, pp.208-209
  72. ^ 戦史叢書54巻 南西方面海軍作戦 第二段作戦以降、586-587ページ、The Forgotten Fleet, pp.215,218-219
  73. ^ 戦史叢書54巻 南西方面海軍作戦 第二段作戦以降、608ページ、The Forgotten Fleet, p.232
  74. ^ 戦史叢書54巻 南西方面海軍作戦 第二段作戦以降、608ページ
  75. ^ 木村(2001) 71-72頁。
  76. ^ 木村(2001) 73-74頁。
  77. ^ 木村(2001) 73-75頁、岩川(1976) 172頁。
  78. ^ 木村(2001) 75-76頁、岩川(1976) 172-175頁。
  79. ^ 木村(2001) 76-77,108-111,158,243-244頁。
  80. ^ a b 木村(2001) 77-78頁。
  81. ^ 木村(2001) 311-314頁、林(1998) 103-112頁。
  82. ^ 林(1998) 103-112頁。
  83. ^ 岩川(1976) 174-175,198-202頁。
  84. ^ 岩川(1976) 175,191-198頁
  85. ^ 岩川(1976) 175-176,203-209頁
  86. ^ 木村(2001) 271-291頁。
  87. ^ 木村(2001) 78-80頁。
  88. ^ 木村(2001) 81-84頁。
  89. ^ 参議院会議録情報 第154回国会 内閣委員会 第17号”. www.awf.or.jp. 2018年8月29日閲覧。


「日本軍によるアンダマン・ニコバル諸島の占領」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「日本軍によるアンダマン・ニコバル諸島の占領」の関連用語

日本軍によるアンダマン・ニコバル諸島の占領のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



日本軍によるアンダマン・ニコバル諸島の占領のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの日本軍によるアンダマン・ニコバル諸島の占領 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS