ハスケル・カリーとは? わかりやすく解説

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ハスケル・カリー

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/29 10:26 UTC 版)

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ハスケル・カリー

ハスケル・ブルックス・カリーHaskell Brooks Curry1900年9月12日 - 1982年9月1日)は、アメリカ数学者論理学者

人物

マサチューセッツ州ミリスで教育者サミュエル・サイラス・カリーの子として生まれる。ハーバード大学を卒業後、1930年、ゲッティンゲン大学ダフィット・ヒルベルトに師事し、博士号を得た。

ゲッティンゲンに在学中、モーゼス・シェーンフィンケルが組合せ論理を導入した1920年の講義の記録を読んだのは、幸運な出来事であった。これに触発されて、組合せ論理をテーマにして博士論文を書き上げた。残りの研究歴をこの分野に費やし、組合せ論理の開拓者、最大の貢献者になった。組合せ論理は、ある種の関数型プログラミング言語の基盤になっている。組合せ論理の力と範囲は、アロンゾ・チャーチラムダ計算のそれときわめて似通っているが、近年は後者の形式主義の方が優勢である。

はじめ、ハーバード大学とプリンストン大学で教え、1929年から1966年までペンシルベニア州立大学で教えた。1942年、カリーのパラドックスを発表。1966年、アムステルダム大学の数学教授になった。

カリーはまた、より一般的な数理論理学についても研究し講義した。この分野での指導は、1963年の『数理論理学の基礎』に結実している。カリーが好んだ数理哲学は、師のヒルベルトにならって形式主義であったが(1951年の著作を参照)、自身の著作には直観主義論理への多大な関心が現れている。

関連項目

参考文献

  • 1951年、『形式主義者の数理哲学の概要』(Outlines of a formalist philosophy of mathematics)。North Holland出版。
  • 1958年 (Robert Feysとの共著)、『組合せ論理』(Combinatory Logic I)。North Holland出版。この本のアプローチの大部分は、1972年の第2巻と以降の著作で置き換えられている。
  • 1979年(1963年)、『数理論理学の基礎』(Foundations of Mathematical Logic)。Dover出版。
  • 1972年(J. R. Hindley、J. P. Seldinとの共著)。『続・組合せ論理』(Combinatory Logic II)。North Holland出版。組合せ論理の包括的な概要であり、簡単な歴史的経緯も含む。
  • 1980年、Seldin, J.P.、Hindley, J.R.編集。『H. B. カリー:組合せ論理およびラムダ計算、形式主義に関するエッセイ』(To H.B. Curry: Essays on combinatory logic, lambda calculus, and formalism)。Academic Press。伝記的な随筆も含む。

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