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祇園南海

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 17:06 UTC 版)

祇園 南海(ぎおん なんかい、延宝4年(1676年)- 宝暦元年9月8日1751年10月26日)、生年について延宝5年(1677年)の説あり)は、江戸時代中期の日本の儒学者漢詩人文人画家服部南郭柳沢淇園彭城百川とともに日本文人画の祖とされる。また、紀州藩に仕え、野呂介石桑山玉洲とともに紀州三大南画家と呼ばれている。名を与一郎、正卿、瑜とし、は白玉、は南海のほか、蓬莱、鉄冠道人、箕踞人、湘雲、信天翁、観雷亭など。通称は余一と呼ばれた。本姓が源であることから、中国風に修して源瑜、阮瑜と称した。


  1. ^ a b c d e 岡本勝雲英末雄編 『新版 近世文学研究事典』 おうふう、2006年2月、256頁。 
  2. ^ 杉本欣久 「〔公開研究会記録〕高精細画像でみる江戸絵画の筆づかい、墨づかいPDF)」『黒川古文化研究所研究紀要 古文化研究』第16号、2017年3月。
  3. ^ (大槻、2001年)では享保4年(1719年)、44歳の時の墨竹図が最初の作とされているが、ここでは(筑波大学日本美術シソーラスデータベース)に従う。


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