ガブリエレ・ミュンター
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ガブリエレ・ミュンター(Gabriele Münter, 1877年2月19日ベルリン – 1962年5月19日ムルナウ(de))はおもにドイツで活躍した表現主義の女流芸術家で、ミュンヘン新芸術家協会及び青騎士のメンバー。絵画に加えて版画による創作活動もした。また、ヴァシリー・カンディンスキーのパートナーとしても知られる。彼女はカンディンスキーの作品のかなりの部分を第二次世界大戦中から戦後にかけて災難から守り、後には青騎士の芸術家仲間の作品と自分自身の作品とを広く一般に公開した。
注釈
- ^ アカデミーに同じ。
- ^ 町の名前は正確にはムルナウ・アム・シュタッフェルゼー(Murnau am Staffelsee, シュタッフェル湖畔のムルナウ)という。
- ^ このときカンディンスキーの手元に返った作品は現在、ポンピドゥー・センターのパリ国立近代美術館で「ニーナ・カンディンスキー遺贈作品」として公開されている。
- ^ ミュンヘン芸術協会(Kunstverein München、1823年創立)は、カンディンスキーらが1909年に創立したミュンヘン新芸術家協会(Neue Künstlervereinigung München)とは別の団体。
- ^ 絵画用語。フランス語matière。材料、素材の意、また絵具の材質的効果あるいは画肌(英:texture)を意味する。絵具の種類や塗り方、油の種類、画布の質などによって多様なマティエール(材質感)が生じるが、純粋の造形的表現を重視する近代絵画では、重要な意義を持つ[8]。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ヘルムート・フリーデル、森要造(1996)p.p.196-201、ミュンターの年譜。ただしこれはレンバッハハウス・ミュンヘン市立美術館編集による年譜の邦訳である。
- ^ a b c d e f g マリサ・ヴォルピ・オルランディーニ、乾由明(1974)p.97
- ^ NHK「世界美術館紀行」取材班 『NHK世界美術館紀行 9 アルテ・ピナコテーク オスロ国立美術館 レンバッハハウス美術館』日本放送出版協会、2005年、94頁。ISBN 978-4-14-081046-0。
- ^ ヘルムート・フリーデル、森要造(1996)p.30
- ^ a b ヘルムート・フリーデル、森要造(1996)p.31
- ^ ヘルムート・フリーデル、森要造(1996)p.p.14-15
- ^ a b ヘルムート・フリーデル、森要造(1996)p.18
- ^ ブリタニカ国際大百科事典より
- ^ ヘルムート・フリーデル、森要造(1996)p.19
- ^ ヘルムート・フリーデル、森要造(1996)p.20
- ^ ガブリエレ・ミュンター「ムルナウ―ブルクグラーベン通り―」1908年、個人蔵
- ^ ヘルムート・フリーデル、森要造(1996)p.p.20-21
- ^ ヘルムート・フリーデル、森要造(1996)p.21
- ^ a b c d ヘルムート・フリーデル、森要造(1996)p.15
- ^ ガブリエレ・ミュンター「聖ゲオルギウスのいる静物」1911年、ミュンヘン、レンバッハハウス・ミュンヘン市立美術館蔵
- ^ ヘルムート・フリーデル、森要造(1996)p.26
- ^ ガブリエレ・ミュンター「まっすぐな道」1910年、ラーヴェンスブルク、ペーター・ゼリンカ・コレクション蔵
- ^ ヘルムート・フリーデル、森要造(1996)p.23
- ^ ヘルムート・フリーデル、森要造(1996)p.16 この段落内の以下の部分は引用部分を含め同書の同部分に拠った
- ^ エーヴァルト・ラトケ、遠山一行(1974)p.12
- ^ a b c 三木順子「第2章_表現主義の女流画家」『ドイツ表現主義の世界』神林恒道(編)、法律文化社、1995年、p.p.43-47。ISBN 4-589-01837-3
- 1 ガブリエレ・ミュンターとは
- 2 ガブリエレ・ミュンターの概要
- 3 生涯
- 4 芸術的特徴
- 5 作品抄録
- 6 放送劇
固有名詞の分類
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ドイツの画家 | ハンス・フォン・アーヘン ヨゼフ・アルバース ガブリエレ・ミュンター ハンス・ブルクマイアー エッマ・アンドリエーヴシカ |
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