フィデナエとは? わかりやすく解説

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フィデナエ

(Fidenae から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/10 03:06 UTC 版)

フィデナエ(Fidenae)はラティウム北端、ローマの北方8キロメートルに位置するエトルリア人古代都市で、後にローマの都市となった。ローマからティベリス川に沿って走るサラリア街道上にある。ティベリス川はラティウムエトルリアの国境となされていたが[1]、フィデナエがその左岸のラティウム側に建設されていることは、エトルリアのラティウムへの拡張を示している。ローマ以前の城壁都市は、現在はローマ市内となっているヴィラ・スパダ(it)の丘の上にあったと想定されるが、建物や城壁の痕跡も見ることは出来ない。ローマ以前の墓地が街の北側にある。ローマ時代の街は丘の東の麓にあり、フィデナエ元老院からマルクス・アウレリウス帝への奉献碑文がある集会所(クリア)が1889年に発掘されている。ローマ時代の建物の遺跡も見ることが出来る。


  1. ^ ティトゥス・リウィウス、『ローマ建国史』、1:2–3
  2. ^ ティトゥス・リウィウス、『ローマ建国史』、1:15
  3. ^ ティトゥス・リウィウス、『ローマ建国史』、1:14–15
  4. ^ ティトゥス・リウィウス、『ローマ建国史』、1:27
  5. ^ ストラボン地理誌』、V, 2.2.
  6. ^ a b シケリアのディオドロス、『歴史叢書』、V.40–43
  7. ^ ティトゥス・リウィウス、『ローマ建国史』、4:34
  8. ^ タキトゥス、『年代記』 IV.62。タキトゥスは死者・負傷者は50,000と推定している
  9. ^ スエトニウス、『皇帝伝(ティベリウス)』62。スエトニウスは被害者数20,000としている
  10. ^ Klingaman, William K. (2007). The First Century: Emperors, Gods, and Everyman. Edison, NJ: Castle Books. p. 139. ISBN 978-0-7858-2256-1.
  11. ^ タキトゥス、『年代記』 IV.62。タキトゥスはアティリウスの追放の詳細に関しては述べていない。一定の領域に入れなくなったのかもしれないし、またはその後の闘技会の開催ができなくなったのかもしれない


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