エドウィン・オースティン・アビーとは? わかりやすく解説

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エドウィン・オースティン・アビー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/19 02:20 UTC 版)

エドウィン・オースティン・アビー
Edwin Austin Abbey
誕生日 1852年4月1日
出生地 アメリカ合衆国フィラデルフィア
死没年 1912年4月15日
死没地 イギリス,ロンドン
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エドウィン・オースティン・アビー(Edwin Austin Abbey、 1852年4月1日 - 1911年8月1日)はアメリカ合衆国の画家、イラストレータである。

略歴

フィラデルフィアで生まれた。ペンシルベニア美術アカデミークリスチャン・シュセーレに学んだ。20歳になる前から『ハーパーズ・マガジン』などの雑誌に挿絵を描くようになった[1]。書籍の表紙絵や挿絵も描くようになり、その中には1896年に出版されたハーパー社版のシェイクスピアの喜劇集、4巻の挿絵もあった。

アビーの絵画『ハムレット』の王妃 (1896)、スミソニアン・アメリカンアート美術館

1878年にイギリスの17世紀の詩人、ロバート・ヘリック(Robert Herrick:1591–1674)の詩集を出版する出版社の依頼で、挿絵の材料を集めるためにイギリスに渡った[2]。この書籍は1882年に出版されたが、1883年にイギリスに滞在し続けれることに決めた[3]。1883年にイギリス王立水彩画家協会の会員に選ばれた[2]。イギリスでも挿絵画家としてのさまざまな仕事もしたが、1890年に油絵作品をはじめて、ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの展覧会に出展し[4]、1896年にも出展し、その年アカデミーの準会員となり、1898年に正会員に選ばれた。1902年にはエドワード7世の戴冠式を描く画家に選ばれ、その作品はバッキンガム宮殿に収蔵されている。夏は、イングランドのウスターシャーコッツウォルズの景勝地ブロードウェイで、アメリカ出身の画家、フランシス・デーヴィス・ミレーの邸などでジョン・シンガー・サージェントらと過ごすこともあった。

1890年代には長い時間をかけてボストン公共図書館の壁画の仕事をした。1904年にロンドン証券取引所の壁画の仕事もし、1908年から新築されたペンシルベニア州ハリスバーグのペンシルベニア州庁舎の仕事をはじめたが1911年ころから健康を害して亡くなり、完成できなかった壁画は、サージェントが後をついで完成させた。

1902年にアメリカのナショナル・アカデミー・オブ・デザインの会員とアメリカ芸術・文学アカデミーの会員に選ばれた。バイエルン王立協会の名誉会員に選ばれ、フランスの国民美術協会の名誉会員に選ばれ、レジオンドヌール勲章(シュバリエ)を受勲した[4]

作品

絵画

ヘンリー六世 第2部』"The Penance of Eleanor, Duchess of Gloucester by Edwin Austin Abbey" (1900)
リア王』から"Cordelia's Farewell"
「アーサー王」から"Sir Galahad discovering the fabled Holy Grail"
O mistress mine, where are you roaming?'

イラスト作品

参考文献

  1. ^ Souter, Nick and Tessa (2012). The Illustration Handbook: A guide to the world's greatest illustrators. Oceana. pp. 16. ISBN 978-1-84573-473-2 
  2. ^ a b "Abbey, Edwin Austin". Encyclopædia Britannica. Vol. I: A–Ak – Bayes (15th ed.). Chicago, Illinois: Encyclopædia Britannica, Inc. 2010. p. 12. ISBN 978-1-59339-837-8
  3. ^ Swenson, Eleanor B. (1997). "Edwin Austin Abbey". In Johnston, Bernard (ed.). Collier's Encyclopedia. Vol. I A to Ameland (First ed.). New York, NY: P.F. Collier. p. 8.
  4. ^ a b  この記述にはアメリカ合衆国内で著作権が消滅した次の百科事典本文を含む: Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Abbey, Edwin Austin". Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 1 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 11.



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