伊達晴宗
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伊達 晴宗(だて はるむね)は、陸奥国の戦国大名。官位は従四位下・左京大夫。伊達氏15代当主。伊達政宗の祖父。
- ^ 黒嶋、2019年、P69・89.
- ^ a b 黒嶋、2019年、P59-60・77-78.
- ^ 黒嶋、2019年、P65-66.
- ^ 『中世出羽の領主と城館 奥羽史研究叢書2』p.90-92
- ^ 黒嶋、2019年、P65-73.
- ^ 長男・親隆を岳父・岩城重隆の養子としていたため、代わって二男の輝宗が世子となっていた。『奥羽永慶軍記』では、天文3年(1534年)に重隆との間で入嗣の約束がなされたとしている。
- ^ 黒嶋、2019年、P74-77.
- ^ 寛文7年(1667年)に相馬藩士・中津幸政が編纂した『奥相茶話記』には、久保姫は相馬顕胤(稙宗の婿)が仲人となって晴宗の嫁に迎える約束があったが、重隆がこれを破談にしたために、面目を失った顕胤が岩城領に攻め込んで軍事的衝突に発展したとある。また『塔寺八幡宮長帳裏書』天文3年(1534年)条には、蘆名盛舜が伊達稙宗に同心し、二階堂氏と共に結城領の白河郡新城に出馬したとの記述がある。
- ^ 元禄期の藩主である伊達綱村と史書編纂に関わった田辺希賢の間で「(世間に知られた)天文の乱は仕方がないが、他の父子不和については公にはしたくないがどのようにすべきか」という趣旨の書状のやりとりが現存している(黒瀬、2019年、P84-85.)。
- ^ ただし、実際は宗時の子久仲が養子となった牧野家などにその血筋が受け継がれ、伊達家中には江戸期も中野一族と縁続きの者らがいた。 また、桑折家と中野家自体、戦国期から姻戚関係にあった。
- ^ 黒嶋、2019年、P79-90.
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