国鉄DD53形ディーゼル機関車
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| 国鉄DD53形ディーゼル機関車 | |
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DD53 1(碓氷峠鉄道文化むら)
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| 基本情報 | |
| 運用者 | 日本国有鉄道 東日本旅客鉄道 |
| 製造所 | 汽車製造 |
| 製造年 | 1965年 - 1967年 |
| 製造数 | 3両 |
| 廃車 | 2010年3月10日 |
| 主要諸元 | |
| 軸配置 | B-2-B |
| 軌間 | 1,067 mm(狭軌) |
| 全長 | 16,200 mm(機関車本体) 26,600 mm(1号機除雪時) 26,250 mm(2・3号機除雪時、ロータリーヘッド改造前) |
| 全幅 | 2,955 mm |
| 全高 | 4,062 mm |
| 空車重量 | 約105 t(ラッセルヘッド付) 約75 t(機関車本体) |
| 運転整備重量 | 約110 t(ラッセルヘッド付) 約80 t(機関車本体) |
| 台車 | DT131(動力台車) TR101B(付随台車) TR102(ラッセルヘッド車) |
| 固定軸距 | 1,800 mm(動力台車) 1,600 mm(付随台車) 1,500 mm(ラッセルヘッド車) |
| 車輪径 | 860 mm |
| 燃料搭載量 | 3,500 L |
| 動力伝達方式 | 液体式 |
| 機関 | DML61Z-R(61070 cc)×2基 |
| 機関出力 | 1,100 ps / 1,500 rpm |
| 変速機 | DW2A-R ×2基 |
| 歯車比 | 1:3.542(減速比) |
| 制御装置 | 電磁式および電磁空気式 |
| 制動装置 | DL15B形 自動空気ブレーキ・手ブレーキ |
| 保安装置 | ATS-S(製造時) |
| 最高速度 | 95 km/h |
| 最大引張力 | 18,000 kgf (176.5 kN) |
| 備考 | 出典[1] |
DD53形ディーゼル機関車(DD53がたディーゼルきかんしゃ)は、幹線列車牽引と除雪で兼用することを目的として、日本国有鉄道(国鉄)が製造したディーゼル機関車である。
製作の経緯
ロータリー式除雪用ディーゼル機関車はDD13形を基本としたDD14形が製造されていたが、新潟地区で実用試験中に起こった三八豪雪の際には対処不能になる[2]など、本州の日本海側の湿った重い雪に対して使用するためには力不足だった。そのため、DD51形を基本に、1,100psのDML61Z-Rディーゼル機関を2基搭載、さらに必要に応じて補機(DD20形)を連結することでこれまでの大規模除雪列車であるキマロキ列車の能力をディーゼル化した、強力かつ高速に除雪を行うことができる除雪用ディーゼル機関車として設計されたのがDD53形である[3][4][5][6]。
走行装置などの機構は、ロータリーヘッドへの動力供給機能を求められたために専用品(DW2A-R)が新規設計された液体式変速機などを除けばDD51形とはほぼ同一であり、夏季はDD51形と共通運用で営業列車の牽引が可能である。
概要
除雪時は、第1エンド先頭部に全長約10mの2軸台車を持つロータリーヘッド(ローターにより前方の雪をかき寄せ、その後方にある回転翼で遠方に投棄することにより除雪を行う装置)を接合して使用する。また、最前端には最大幅6mまで開くかき寄せ翼があり、幅の調整は6m・5m・3.5mが選択可能である[注 1]。ローター等の駆動は機関車本体から伸ばされた動力シャフトによって行われるため、車体形状はDD51形の凸型に対して、箱型となっている。また、このロータリーヘッド上の運転席から遠隔操作で機関車本体の制御を行うことができる。
2基のエンジンはそれぞれ独立した変速機に接続され、動力は1つに統合された後、2台車を駆動する。変速機には2基のエンジンのうち片方を除雪用に、もう一方を走行用に使用したり、両方ともローターの駆動に使用したりすることが可能な動力切り替え装置を持っている。両機関を除雪に使用する場合は他機関車の推進用に使用する[注 2]。この目的で製造されたのがDD20形の2号機である。後に、各車ともDE10形による推進に変更され、DD13形、DD16形、あるいは電化区間では電気機関車なども推進に充当された。また、本形式はロータリーヘッドを外した状態での運転に際しても動力切り替え装置を介することで2基のエンジンを交互に進段させる制御方式を導入しており、原型となったDD51形の14ノッチに対して27ノッチという細かい制御段を備え[注 3]、編成重量の重い列車を牽引するのにも有利なものとなっていた[3][7]。
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製造所銘板 2005年12月11日 碓氷峠鉄道文化むらにて
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DD53 2 ロータリーヘッド開口部
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DD53 2 第2エンド側
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DD53 1 ラッセルヘッド連結部分
歴史
1965年に2両、1967年に1両の計3両が汽車製造で製造され、計画通り新潟地区へ投入された。
当形式は本来、優等列車が雁行する上越・信越線において、できる限り営業列車の運行に支障しないよう、高速で除雪を行うために開発されたもので、機関2基を除雪に使用し、補機を推進に用いた場合の除雪能力は毎時1万t以上(最大1万4千t)、最高速度25km/hという強力なもの[8]であった。しかし、当初の目的であったハイパワーが逆に仇となり、本州の投入線区では数々の問題が起こった。また、そのような性能の要求がある線区が他になかった事から本格量産には至らず、除雪機関車の製造はロータリー式のDD14形のみが、1979年まで細々と続けられた。また、本形式が製造当初に想定していた、夏季にロータリーヘッドを外して一般の営業列車を牽引する機会も、当初は羽越本線や磐越西線において、東新潟機関区に所属するDD51形の運用を一部代替する形で行われたが次第に少なくなり、1970年代後半になると、整備や検査以外でロータリーヘッドを外すことも少なくなった。
「投雪が民家の敷地に飛び込む」「電線を切断する」といったトラブルは、古くは蒸気機関車推進のロータリー除雪車時代からあった問題ではある(そのために、除雪列車に大工や電気技師を同乗させることもあったという)。しかし、当時の交通機関においては、自動車そのものの普及率はもとより道路整備も遅れていた上、十分な能力をもった動力源が蒸気機関しかなく、実用的な道路除雪も不可能であったため、鉄道がなければ冬期は地域が丸ごと孤立することも珍しくなかった。このため、鉄道の除雪に伴う多少の建築物の被害は「やむを得ないこと」として許容されていた。しかし、モータリゼーション及び道路整備の進展、実用に足る出力と大きさの内燃機関の発展で鉄道の優位性が失われたことで、その問題が顕在化する。従来のキマロキ列車やDD14形よりも高速となる、時速20kmというロータリー除雪車としてはかつてない速度で除雪を行ったDD53形の投雪の威力は凄まじく、沿線の民家の窓ガラスや屋根瓦を破損するばかりか、室内にあったピアノを破壊したという、事実かどうかも疑わしい伝説を残している。
DD53形のロータリーヘッドの運転席は、前方確認および雪のかき寄せ状況の確認を容易にするために、投雪口の前方・かき寄せ羽根車の上部に配置されているが、後年になって沿線の宅地化が進んだことで投雪による被害が頻発したため、2号機は1976年に、3号機は1977年に、投雪方向の確認を容易にするために運転席を投雪口の後方である機械室前部に移設する改造が行われた[9]。この改造と同時に、DD53形には除雪作業時の運転操作を改善するため積雪や路線の状態に合わせた投雪や定速度運転を可能とする自動制御装置を搭載したほか、除雪補助機関車は合理化の観点から少数試作機であるDD20形からDE10形に置き換えることとなった。この際、DD53・DD20形の原設計であるDD51形とDE10形では変速機の速度進段が異なることから、DD53形と補機運用に就くDE10形[注 4]には、変速機の読み替え機能や表示灯の増設などの改造が行われた[10]。
1号機は旭川機関区へ転属したが、雪質と沿線環境の大きく異なる旭川では除雪車としての稼働率は低く、冬季においてもロータリーヘッドを外したまま、主に宗谷本線の塩狩峠において後補機として使われていた。1976年になって新庄機関区へ転属となり、新潟地区と同じく豪雪地帯を抱える奥羽本線で運用するため、横手機関区や秋田機関区での乗務員訓練も行われた後、主に米沢駅 - 横手駅間で試験的に除雪を行った。しかし、同線も沿線の宅地化が進んでいたことから、やはり建築物の破損や電線の切断といった問題を引き起こし[11]、運用区間を楯岡駅 - 院内駅間に限定[注 5]したものの稼動率は上がらず[注 6][12]、原型を留めていたロータリーヘッドは2号機や3号機の修理に一部部品を流用される有様であった[13]。1986年に1号機は廃車されたものの、その後の処分は保留とされ、1987年より高崎運転所で保管された後、1999年に開業した碓氷峠鉄道文化むらに静態保存されている。
一方、2号機と3号機は引き続き新潟地区で運用された。1982年の上越新幹線開業後は、上越線・信越本線(水上駅 - 長岡駅間、柏崎駅 - 長岡駅間)のほか、信越本線の黒姫駅 - 直江津駅間でも運用されるようになり[14]、1987年に東日本旅客鉄道(JR東日本)へと承継された。JR化後は長岡運転所(現・長岡車両センター)の所属となり、2号機は主に信越本線、3号機は上越線(水上駅 - 宮内駅間)の除雪に使用された。しかし、上越新幹線の開業に伴い上越線の重要度が低下したこと、沿線の降雪量が減少したことなどから、1980年代までは補機を従えた最大出力での除雪運用が頻繁に行われていた水上駅 - 石打駅間[注 7]においてもDD14形だけで除雪運用をこなせるようになった。このため、2001年に3号機は廃車され、残る2号機は引き続き信越本線の除雪に用いられた。
民営化後の2号機では、特異な運用がいくつか行われている。1987年4月には「新潟新幹線車両基地一般公開」に合わせ、「おもしろ列車」として長岡駅 - 新潟駅間を走行した。この時はDD53形の後ろにEF64形1000番台と14系客車を繋ぎ、最後尾にDE15形を連結したプッシュプル方式で運転。ロータリーヘッドは装着した状態のままであった[15]。これは1970年代半ば頃に夏季使用が消滅して以来、久々となる営業列車の牽引であった。また、同年春には信越本線でDD14形+DD53形のプッシュプル方式による列車も運転された。以降は再び旅客運用に供されない時期が続いたものの、2006年11月3日から5日にかけて、車両検査を行うC57形180号機に代わり、磐越西線新津駅 - 会津若松駅間で「DD53ばんえつ物語号」の牽引に充当された。この列車の運転は、平成・21世紀に入って初めてのDD53形の旅客運用として大きな話題となった。翌2007年4月14日・15日には、リニューアルした「ばんえつ物語」用客車のお披露目運転を、団体臨時列車として再び牽引。今度は羽越本線を走行した。14日は「出羽」として、翌15日は「鳥海」として列車名が設定されたため、運転の際にはかつての寝台特急「出羽」「鳥海」のヘッドマークを掲出した。
最後まで残存した2号機は、上記の2007年春の団体臨時列車牽引を最後に運用を離脱。その後は保留車として、長岡車両センター内でしばらく留置されていたが、2010年3月10日に秋田総合車両センターへ自力回送され[16]、同日付けで廃車となった[17]。同機の廃車により、DD53形は廃形式となった。
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リニューアルした「ばんえつ物語」客車のお披露目運転。「鳥海」のヘッドマークを掲出する2号機。村上駅
保存機
DD53・DD14形が登場する作品
- 峰村勝子「すすめ! じょせつきかんしゃ」 - 福音館書店『こどものとも』第383号(2006年時点では絶版、2010年2月1日付で第3刷発行)
- 島田直明 『赤鬼』鉄道ファン・フォトサロン「鉄道ファン407号」1995年3月号(交友社) / 『赤鬼』Best Shot「週刊朝日」1997年2月21日号(朝日新聞社)
- 豊田巧 『RAIL WARS! -日本國有鉄道公安隊-』 2巻にて國鉄公安機動隊特別強襲班(通称:NRSAT)の特別車両として登場。12巻ではラッセルヘッド装備の一般型が登場。13巻ではアテラ国(架空国家)の装甲車両(国鉄キ100形貨車)の動力機関車として登場。
脚注
注釈
出典
- ↑ 鉄道図書刊行会「鉄道ピクトリアル」1965年1月号「DD53形式液体式ディーゼル機関車」pp.33 - 36。
- ↑ 『鉄道ジャーナル』1984年3月号(通巻205号)P.73-75
- 1 2 『鉄道ファン』1964年11月号(通巻41号)P.32-33
- ↑ 『鉄道ファン』1965年3月号(通巻45号)P.12-13
- ↑ 小杉毅「DD53形除雪用ディーゼル機関車」『交通技術』第19巻第11号、交通協力会、1964年11月1日発行、28-29ページ
- ↑ 小杉毅「設計ニュース・除雪装置付DD53形」『鉄道工場』第16巻第1号、レールウエー・システム・リサーチ、1965年1月1日発行、18-19ページ
- ↑ 『季刊 j train』Summer 2007 Vol.26 P.95
- ↑ 『鉄道ジャーナル』1984年3月号(通巻205号)P.80
- ↑ 『季刊 j train』Summer 2007 Vol.26 P.99
- ↑ 『鉄道ピクトリアル』1978年2月号(通巻344号)P.59-60
- ↑ 『レイル・マガジン』1987年1月号(通巻37号)P.44-45
- ↑ 『鉄道ファン』1985年3月号(通巻287号)p66
- ↑ 『とれいん』1987年1月号(通巻145号)P.22
- ↑ 『鉄道ファン』1985年3月号(通巻287号)p72-74
- ↑
- ↑ DD53 2が秋田総合車両センターへ - 交友社『鉄道ファン』railf.jp 鉄道ニュース 2010年3月11日
- ↑ 『鉄道ファン』2010年7月号(通巻591号)「JR各社の車両配置表」
参考文献
- 石井幸考「キマロキの近代化新型ディーゼル機関車の登場」 - 交友社『鉄道ファン』1964年11月号(通巻41号)P.32-33
- TK生「DD53形ディーゼル機関車誕生」 - 交友社『鉄道ファン』1965年3月号(通巻45号)P.12-13
- 百本暁生「最近の除雪ディーゼル機関車」」- 電気車研究会『鉄道ピクトリアル』1978年2月号 No.344 P.56 - P.60
- 工藤澄「DD14形 開発の思い出」 - 鉄道ジャーナル社『鉄道ジャーナル』1984年3月号(通巻205号)P.72-75
- 清水和男「除雪機関車・雪カキ車の概要」 - 鉄道ジャーナル社『鉄道ジャーナル』1984年3月号(通巻205号)P.76-81
- 西村慶明「けいめいのイラストノート一つ目玉のモンスター」 - ネコ・パブリッシング『レイル・マガジン』1987年1月号(通巻37号)P.44-45
- 岩成政和「豪雪に挑み続けた美麗機の終焉 知られざる国鉄形機関車DD53」 - イカロス出版『季刊 j train』March 2002 Vol.5 P.53 - P.61
- 岩成政和「DD51派生機の概要と近況 (I) DD53」- 電気車研究会『鉄道ピクトリアル』2005年11月号 No.768 P.64 - P.72
- 岩成政和「DD53ものがたりここが見どころ、最後のマンモス! 」 - イカロス出版『季刊 j train』Summer 2007 Vol.26 P.91 - P.99
- 鉄道ファン編集部「雪よ!二条のレールは渡さない!除雪用機関車の活動記録から 」『鉄道ファン』1985年3月号(通巻287号)p60-75
- 特集:赤い除雪車 車両の視点DD14・17・53 プレス・アイゼンバーン『とれいん』1987年1月号(通巻145号)
- 碓氷峠鉄道文化むら公式ホームページ(https://www.usuitouge.com/bunkamura/guide/)
関連項目
固有名詞の分類
| 国鉄・JRの車両形式 |
国鉄デハ43200系電車 国鉄1760形蒸気機関車 国鉄DD53形ディーゼル機関車 国鉄1180形蒸気機関車 国鉄オハ35系客車 |
| 日本国有鉄道のディーゼル機関車 |
国鉄ケDB10形ガソリン機関車 国鉄DC11形ディーゼル機関車 国鉄DD53形ディーゼル機関車 国鉄DF91形ディーゼル機関車 国鉄DE10形ディーゼル機関車 |
| 東日本旅客鉄道のディーゼル機関車 |
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