有馬晴信
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/25 13:05 UTC 版)
有馬 晴信(ありま はるのぶ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての大名。肥前国日野江藩初代藩主。有馬義貞の次男[9]。キリシタン大名で、大村純忠は叔父に当たる。
注釈
- ^ a b c 尚、「鎮」の字は近隣の強大勢力で同じくキリシタン大名でもある大友義鎮(宗麟)から偏諱を賜ったものであり、弟とされる波多鎮も賜っている[2]。
- ^ 後に「ドン・ジョアン」と改名したという説もある[4]。
- ^ 有馬氏の正統系図である『藤原有馬世譜』では「安富入道徳円女」とする。
- ^ 『藤原有馬世譜』に記載無
- ^ 菊亭晴季の娘という説もあり(『藤原有馬世譜』など)。
- ^ 元々は直純の乳母だったという[26]。
- ^ a b 慶長18年(1613年)イエズス会年報によれば、さらに嫌疑がかかるのを恐れた直純が異母弟2人を殺したという記述があり、またイエズス会関係史料から晴信には「フランシスコ」「マチアス」という息子がいたことが確認できることから、名前の類似した「富蘭(ふらん)」「於松(おまつ)」はこの殺害された男子であると推測される[27][要ページ番号]。
- ^ 『藤原有馬世譜』にのみ記載あり
出典
- ^ a b c 外山 1997, p. 65
- ^ a b 外山 1997, pp. 65–66.
- ^ a b 外山 1997, p. 66
- ^ 結城了悟『キリシタンになった大名』キリシタン文化研究会、1986年。
- ^ 外山 1997, p. 56.
- ^ グスマン, p. 823.
- ^ 外山 1997, p. 69.
- ^ 外山 1997, p. 70.
- ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 64頁。
- ^ 外山 1997, pp. 64–65.
- ^ 外山 1997, p. 74.
- ^ 外山 1997, pp. 65, 245–248.
- ^ 外山 1997, p. 68.
- ^ 外山 1997, p. 66.
- ^ 『十六・七世紀イエズス会日本報告書』p268. 同朋舎. (1998年)
- ^ 『フロイス日本史』10巻p340. 中央公論社. (1980年)
- ^ 外山 1997, p. 255.
- ^ 外山 1997, p. 256.
- ^ 外山 1997, p. 262.
- ^ 台湾総督府博物館, 岩生成一「有馬晴信の台湾視察船派遣」.
- ^ 外山 1997, p. 268.
- ^ 外山 1997, p. 285.
- ^ 外山 1997, p. 286.
- ^ 外山 1997, p. 287.
- ^ 外山 1997, p. 291.
- ^ 外山 1997, p. [要ページ番号].
- ^ 外山 1997.
- ^ 神田千里『島原の乱―キリシタン信仰と武装蜂起―』中央公論新社、2005年、81-82頁。
- ^ 外山 1997, 当該仏画の写真も所収されている.
[続きの解説]
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