782年から785年の反乱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/21 06:58 UTC 版)
「フリースラント・フランク戦争」の記事における「782年から785年の反乱」の解説
ザクセン人はウィドゥキントの指導の下、長年にわたってフランク人に抵抗していた。これに同調したラウエルス川以東のフリース人は、782年に反乱を起こした。異教が復活して教会は略奪・放火され、聖リウドゲルスらキリスト教聖職者は南方へ逃れた。これに対し、カール大帝は783年にザクセンへ遠征し、返す刀で783年にフリースラントに進軍した(p796) フリース人はザクセンのウィドゥキントと同盟し、784年には彼に援軍を送っている。しかし785年にウィドゥキントは降伏してしまい、孤立したフリース人の反乱は苛烈な鎮圧を受け終結した。
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