413年記事について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/29 06:43 UTC 版)
『晋書』安帝紀の高句麗・倭国の遣使記事に関しては、高句麗・倭の共同遣使説、個々の単独遣使説、高句麗単独遣使説(倭不遣使説)・史料誤引説が挙げられている。特に3番目の高句麗単独遣使説が特に有力視され、高句麗が倭との戦い(好太王碑文)で倭の虜囚を得て、それらを倭国使に仕立てたと想定される。「義熙起居注」に記される倭国が献じた貂皮・人参も、高句麗の特産物として著名なものになる(ただしこの「義熙起居注」の「倭国」は単に「高句麗」の誤記とする説もある)。背景として、高句麗は北燕と関係が悪化しており、倭を連れて重訳外交をすることで東晋に大国と見せる必要があったとされる(一方で倭には高句麗と共同遣使をする動機がない)。
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