3教皇鼎立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 12:31 UTC 版)
このような混乱の中で、譲歩しようとしない両教皇の態度に業を煮やした両教皇庁の枢機卿団は、公会議を開いて新しい教皇を選任し、この分裂を解消しようという動きを取り始め、公会議主義(公会議派)が形成された。公会議派は1409年ピサ公会議を開き、両教皇の参加を求めたが受け入れられなかった。 この公会議は両教皇の廃位を宣言し、新たにアレクサンデル5世を選出した。 これに対し、ベネディクトゥス13世はペルピニャンで、グレゴリウス12世はチヴィダーレでそれぞれ自派の公会議を開いたため、ここに3人の教皇が鼎立することとなった。アレクサンデル5世は1年後に亡くなり、ヨハネス23世が継いだが、この教皇の評判は芳しくなかった。
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