2013年パリPKK女性幹部三名暗殺事件
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2013年1月9日、フランス共和国パリ10区において発生した暗殺事件。 クルディスタン労働者党(PKK)などに所属する女性幹部3名が頭部への銃撃などによって殺害された。
暗殺
2013年1月9日(水)から10日(木)にかけての夜、パリ北駅近くのラ・ファイエット通り147番地にあるクルディスタン情報センターの二重に施錠されたオフィス内で、フィダン・ドアン(28歳)、サキネ・ジャンスズ(54歳)、レイラ・ソイレメズ(24歳)の3人のクルド人女性活動家の遺体が発見された。それぞれの頭部や首に数発の銃弾が撃ち込まれるという「処刑スタイル」だった[1]。現場の目撃者は襲撃は消音機つきの銃やナイフを使って行われたのだろうと証言している[2]。
犠牲者たち
サキネ・ジャンスズはPKKの共同設立者の一人だった。フィダン・ドアンはクルディスタン国民会議メンバーであり、フランス諜報機関の見立てによれば、PKK の連絡事務所であるクルディスタン情報センターパリ支部の関係者であった。レイラ・ソイレメズはクルド人青年運動の活動家だった[3]。
容疑者
事件の起きた建物の監視カメラに映像が残されていたため、すぐに容疑者としてオメル・ギュネイが特定された[4]。 ギュネイはプライドの高いトルコ人であり、ドイツのミュンヘンで交流があった人々からは、極右民族運動党(MHP)の支持者で、アメリカやEU と同様、PKK をテロリストと見なしていたはずだと思われていた[4]。
捜査
容疑者のギュネイは2013年1月21日に拘束された。検察庁長官フランシス・モリスの当初の発表によれば、逮捕されたオメル・ギュネイ(トルコ共和国スィヴァス出身、フランス居住の34歳。ド・ゴール空港のメンテナンス従業員。過去にPKK メンバーとして2年間の活動経歴があり、前科なし)は犯行を否認した。親族はギュネイが脳腫瘍が原因で一時間前に食べたものも忘れる状態であり、病院の診断書もあると語ったという[5]。ギュネイは当初、「自分の心はクルド人」でありPKK に共感していると当局に説明していたが、親族によれば、ギュネイは自分のことをトルコのウルトラナショナリストで、「クルド人テロ組織PKK」に対抗するトルコのネオ・ファシズム組織"灰色の狼(英語版)"の一員であると語っていたという[6]。殺人現場に設置されていたビデオカメラに残された映像から、殺人が行われた00:11から00:56の間、ギュネイが建物内にいたことがわかっている[4]。フランスの対テロ副総局(SDAT) は、殺害当日にギュネイが借りた車のラジオの後ろからトルコの入出国スタンプが3つ押されたパスポートを[7]、バッグからは火薬を発見している。専門家が携帯電話を調査し、暗号を解読、削除されたファイルを復元した結果、前日(1月8日)の早朝4時23分から5時33分の間、ヴィリエ=ル=ベルにあるクルド人協会の敷地内で、329人分の会員ファイルの写真を撮影していたことを証明する画像を発見した[4]。またその2日前、クルド人コミュニティ内部における、不正行為の疑いがある会計を追跡する写真も撮っていた[4]。ギュネイはクルド人活動家の写真を何百枚も携帯電話に入れていた。
フランス当局の調査によれば、トルコ国家情報機構(MİT)が殺人に関与している可能性があるという[6]。事件の数ヵ月後、ギュネイとMİT の工作員と思われる人物との間で交わされたと思われる音声の録音がインターネット上で公開された[8]。捜査を担当していた反テロリスト判事のジャンヌ・デュイエは、2013年9月に自宅で自分のコンピューターを強盗に盗まれたという[7]。

ストラスブールにて。2012年
検察側は、ギュネイはトルコのシークレットサービスと頻繁に接触しており、諜報活動に関与していたことは明らかだと主張した[6][9]。裁判官は、殺害にトルコのシークレットサービスが関与していた可能性も考慮したものの、誰が作戦を命じたのか、犯人が政府のトップの意思に従って行動したのかどうかについては踏み込まなかった。オメル・ギュネイは、持病の脳腫瘍に関連する処置のため2016年12月13日にサルペトリエール病院に緊急搬送されたが、レジオネラ症に感染し、4日後に肺炎で死亡した。裁判開始予定日の5週間前であった[10][11]。
ギュネイが死亡した直後、フランスは殺人事件の捜査打ち切りを決定した[12]が、2019年5月には捜査を再開している[13]。
トルコ国民民主主義党(HDP) の代表であるエイユップ・ドルは、フランスにおけるフィダン・ドアンの社会的・政治的コネクションから、三重暗殺の主な標的はドアンだったのではないかと推測している[14]。弁護士のシルヴィー・ボワテルは、ドアンは非常に聡明で、フランス・トルコ・クルド三つの文化規範に通じていたと語る。ドアンの兄弟の一人は、フランス大統領のフランソワ・オランドがフランス社会党のリーダーだった時代、フィダン・ドアンと何度か会っていたと証言した[15]。 オランドは3人の女性のうちの1人と頻繁に接触していたことを認め、トルコ大統領エルドアン はこれを非難した[16]。エルドアンはトルコが殺人に関与したというクルド人活動家の主張に反論し、PKK-トルコ間の和平プロセスの妨害をたくらむPKK の内部抗争だった可能性を示唆した[16]。
サキネ・ジャンスズの兄であるメティンは、サキネがフランス本土内で殺され、また、犯人が裁判を受ける前に同国内で死亡したことについて、フランス政府には責任があると主張、また殺害事件以来、フランスの大統領も首相も犠牲者の家族に連絡を取ってこなかったと指摘した[17]。
余波
1月17日にトルコ南東部ディヤルバクル市で行われた3人の女性を追悼する式典には、数万人のクルド人が集まった[18]。大勢の人々が黒地に白い文字で「私達はみな、サキネであり、フィダンであり、レイラである」と書かたプラカードを持ってバトゥケント広場まで行進した。民主社会会議(DTP)のアイセル・トゥールク共同議長は、涙ながらに「これは、女性の戦いに対してなされた殺人だ。殺人者らは、クルド問題の解決を望まない人々だ」と語った[19]。PKKの旗でくるまれた棺の前でBDP(平和民主党)デミルタシュ党首は、「今こそ平和の時だ」と述べた[20]。
葬儀
犠牲者はそれぞれの故郷、ジャンスズはトゥンジェリ、ドアンはカフラマンマラシュ、そしてソイレメズはメルスィンに埋葬された。
フィダン・ドアンはトルコのカフラマンマラシュ県エルビスタン地区にあるドアンの家族の村に埋葬された。葬儀には約5000人が参列し、アレヴィー派の聖職者の手により執り行われた。ドアンの棺はPKKの旗に包まれ、弔問者は平和を象徴する白いスカーフを巻いた。弔問には平和民主党のギュルタン・クシャナク副党首、ナーセル・アイドアン下院議員、アイラ・アカト・アタ下院議員、ハシップ・カプラン下院議員、そしてディヤルバクル市長のオスマン・ベイデミルらが顔を見せた。クシャナクは葬儀の席上で「私たちはすべてのクルド人女性とこの3人に、この地に平和と自由をもたらすことを約束します」と演説した[21]。
抗議活動
暗殺から3周年を迎えた日、パリでは数千人が「トルコ政権による犯罪」を糾弾し、正義を求めるための抗議活動に参加した。デモ行進はPKK の旗と創設者であるアブドゥッラー・オジャランの肖像写真を掲げながら殺害現場へと向かい、犠牲者を偲んで献花が行われた。デモのためにドイツから駆けつけたサキネ・ジャンスズの兄ヘイダルは報道陣に対し、「私たちは正義を勝ち取るまで歩き続ける。サキネの闘いは続いている」と語った[22]。
外部リンク
- クルド-トルコ紛争で暗殺された人物のリスト
参考文献
- Triple Assassinat au 147, Rue Lafayette (『ラファイエット通り147番地の三重暗殺事件』) by Laure Marchand. (Published by Actes Sud) [ISBN 9782330068899] - 本書は殺人事件とトルコのシークレット・サービスとの関連を調査し、3人の女性の経歴を概説、またレジェップ・タイイップ・エルドアン[23]の政治について解説されている。
脚注
- ^ “Les trois militantes kurdes ont été assassinées de plusieurs balles dans la tête [The three Kurdish activists were murdered with several bullets to the head]” (フランス語). Le Monde.fr. Agence France-Presse. (2013年1月11日). オリジナルの2021年4月11日時点におけるアーカイブ。 2021年3月13日閲覧。
- ^ http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20130111_081221.html PKKパリ支局に襲撃、PKK創設メンバーを含む女性3人暗殺 Radikal紙
- ^ “Fidan Dogan, l'une des trois militantes kurdes assassinées à Paris a vécu à Strasbourg” (フランス語). France 3 Grand Est (2013年10月). 2023年3月26日閲覧。
- ^ a b c d e “Kurdes assassinées: La piste politique” (French). L'Express (2014年1月9日). 2017年2月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年5月4日閲覧。
- ^ https://www.istanbul.tr.emb-japan.go.jp/weekly/Istanbul%20Weekly%20vol.2-no.3.pdf Istanbul Weekly vol.2-no.3 在イスタンブール日本国総領事館
- ^ a b c Seelow, Soren (2015年7月22日). “Assassinat de militantes kurdes à Paris: la justice souligne l'implication des services secrets turcs [Assassination of Kurdish activists in Paris: justice highlights the involvement of the Turkish secret services]” (フランス語). Le Monde.fr. オリジナルの2021年8月27日時点におけるアーカイブ。 2021年3月14日閲覧。
- ^ a b Vinocur, Nicholas (2013年10月23日). “French investigation into Kurdish murders eyes Turkey connections” (英語). Reuters. オリジナルの2019年5月31日時点におけるアーカイブ。 2019年5月30日閲覧。
- ^ Diehl, Jörg; Gezer, Özlem; Schmid, Fidelius (2014年2月10日). “Und Gott bewahre [And God forbid]” (French). Spiegel Online 7. オリジナルの2020年8月9日時点におけるアーカイブ。 2019年5月31日閲覧。
- ^ “French inquiry implicates Turkish secret services in Paris Kurds' murder” (英語). RFI (2015年7月23日). 2021年4月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月14日閲覧。
- ^ “Omer Güney, assassin présumé de trois militantes kurdes à Paris, meurt avan” (フランス語). www.20minutes.fr (2016年12月17日). 2022年3月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月28日閲覧。
- ^ “Militantes kurdes assassinées à Paris : le suspect renvoyé devant les assises” (フランス語). Le Parisien (2015年8月13日). 2020年11月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年10月28日閲覧。
- ^ “France reopens probe into killing of 3 Kurdish activists” (英語). France 24 (2019年5月15日). 2021年1月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年5月31日閲覧。
- ^ “France reopens inquiry into 2013 murder of Kurdish militants” (英語). Reuters. (2019年5月16日). オリジナルの2020年6月5日時点におけるアーカイブ。 2019年5月31日閲覧。
- ^ Ariane Bonzon (2017年1月11日). “「パリでの3人のクルド人暗殺に関するあり得ない真実」 L'impossible vérité sur l'assassinat de trois Kurdes à Paris” (フランス語). www.slate.fr. 2021年4月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年3月28日閲覧。
- ^ “Le frère d'une des Kurdes témoigne” (フランス語). Le Parisien (2013年1月16日). 2019年7月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年7月27日閲覧。
- ^ a b “Erdoğan verärgert über Hollandes PKK-Kontakte”. Die Zeit. (2013年1月12日) 2023年3月27日閲覧。
- ^ Bonzon (2017年1月11日). “L'impossible vérité sur l'assassinat de trois Kurdes à Paris” (フランス語). Slate.fr. 2021年4月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月28日閲覧。 “I hold France responsible. Because my sister was killed on French soil and the one who killed my sister died in prison, preventing the trial from taking place,”
- ^ Reynolds, James (2013年1月17日). “Calls for peace at slain PKK activists' funerals” (英語). オリジナルの2021年9月26日時点におけるアーカイブ。 2019年7月27日閲覧。
- ^ PKK3女性幹部のディヤルバクル葬儀で、平和の呼びかけ パリで暗殺のPKK3女性のディヤルバクル葬儀、平静―混乱なし Radikal紙
- ^ パリで暗殺のPKK3女性のディヤルバクル葬儀、平静―混乱なし Hurriyet紙
- ^ “Paris killing victim buried with participation of thousands - Türkiye News” (英語). Hürriyet Daily News (2013年1月18日). 2022年8月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月28日閲覧。
- ^ “Thousands of Kurds protest in Paris over women's murders” (英語). Al Arabiya English (2016年1月9日). 2021年5月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月28日閲覧。
- ^ Flora (2017年1月25日). “Retour sur l'assassinat de trois militantes kurdes à Paris” (French). parismatch.com. 2021年1月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月28日閲覧。
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