1987年の日本グランプリ_(ロードレース)とは? わかりやすく解説

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1987年の日本グランプリ (ロードレース)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/22 15:23 UTC 版)

  1987年の日本グランプリ
レース詳細
1987年のロードレース世界選手権 全15戦中第1戦
決勝日 1987年3月29日
開催地 鈴鹿サーキット
開催コース 常設サーキット
5,912km
500 cc
ポールポジション ファステストラップ
ニール・マッケンジー ランディ・マモラ
2:14.320 2:34.600
表彰台
1. ランディ・マモラ
2. ワイン・ガードナー 3. 伊藤巧


250 cc
ポールポジション ファステストラップ
清水雅広 小林大
2'18" 720 2' 19" 680
表彰台
1. 小林大
2. シト・ポンス 3. ラインハルト・ロス



1987年の日本グランプリは、ロードレース世界選手権1987年シーズン開幕戦として、3月27日から29日にかけて三重県鈴鹿サーキットで開催された。このシーズンから決勝でのスタート方式が押しがけスタートからクラッチスタート方式となった。

概要

日本グランプリとしては1967年以来20年ぶりの開催となる。鈴鹿初開催となったWGP500ccクラスは、予選でホンダの最新ワークスマシン・NSRを得た初戦のニール・マッケンジー(HBホンダ)が2分14秒台のコースレコードでポールポジションを獲得し話題をさらったが、雨となった決勝レースではラッキーストライク・ロバーツ・ヤマハのランディ・マモラが1周目からチェッカーまでを独走で制した。マモラはダンロップタイヤを使用するチーム・ロバーツの優位性を生かし、ロスマンズ・ホンダのエースであるワイン・ガードナー、マールボロ・ヤマハのエースエディ・ローソンがともにミシュランユーザーだったことの間隙を突き、鈴鹿の雨をよく知る日本ダンロップが開発したレインタイヤの性能を活かした勝利であった。マモラのチームメイト、マイク・ボールドウィンも同じダンロップ・レインタイヤでマモラに次ぐ2位に浮上しチーム・ロバーツの1-2体制であったが、ボールドウィンは中盤転倒リタイヤを喫した。PPを獲得したマッケンジーは終盤までロン・ハスラム(elfホンダ)と表彰台圏内を争っていたが、やはり雨に足元をすくわれ最終盤で転倒、ハスラムもS字コーナーで転倒し、スズキの新型RGV500を開発する伊藤巧が殊勲の3位表彰台を獲得した。前年のWGP250cc最終戦サンマリノGPでWGP初優勝を果たし、この年マールボロ・アゴスチーニ・ヤマハから500ccクラスへのフルエントリーが実現した平忠彦は、この日本GPのみ資生堂TECH21カラーでの参戦となり、決勝レースで着実に6位入賞を果たした。ロスマンズ・ホンダのワイン・ガードナーのチームメイトに抜擢されフルエントリーを開始した八代俊二は序盤3位-5位争いのグループに加わっていたが、最終コーナーで転倒しリタイヤとなった。

250ccはスポット参戦の清水雅広(HRC)がポールポジションを獲得、決勝では少数派だったブリヂストンタイヤを使用する小林大(HRC)が2位のシト・ポンスに30秒近い差を付けて勝利、清水も4位に入賞するなど日本のホンダワークスコンビが活躍を見せた。

500ccクラス決勝結果

順位 ライダー 車両 周回数 タイム グリッド ポイント
1 ランディ・マモラ ヤマハ 22 57:22.889 8 15
2 ワイン・ガードナー ホンダ 22 +42.389 3 12
3 伊藤巧 スズキ 22 +51.294 22 10
4 ピエールフランチェスコ・キリ ホンダ 22 +1:20.353 17 8
5 ロン・ハスラム Elf-ホンダ 22 +1:22.950 9 6
6 平忠彦 ヤマハ 22 +1:38.680 5 5
7 河崎裕之 ヤマハ 22 +1:40.066 13 4
8 ロジャー・バーネット ホンダ 22 +2:08.258 21 3
9 片山信二 ヤマハ 22 +2:16.331 19 2
10 レイモン・ロッシュ カジバ 22 +2:28.180 12 1
11 五百部徳雄 ホンダ 21 +1 Lap 23
12 山名久 ホンダ 21 +1 Lap 29
13 サイモン・バックマスター ホンダ 21 +1 Lap 32
14 ヴォルフガング・フォン・ムラルト スズキ 21 +1 Lap 30
15 エスコ・クパリネン ホンダ 21 +1 Lap 30
Ret ニール・マッケンジー ホンダ 21 1
Ret マイク・ボールドウィン スズキ 18 11
Ret 八代俊二 ホンダ 15 4
Ret クリスチャン・サロン ヤマハ 14 10
Ret ケビン・マギー ヤマハ 14 6
Ret アレッサンドロ・バレージ ホンダ 13 25
Ret 島田進 スズキ 11 27
Ret グスタフ・レイナー ホンダ 9 18
Ret エディ・ローソン ヤマハ 8 2
Ret ロブ・マッケルニア ヤマハ 5 7
Ret 藤原儀彦 ヤマハ 4 20
Ret マルコ・ジェンタイル Fior-ホンダ 3 28
Ret 木下恵司 ホンダ 2 16
Ret ディディエ・デ・ラディゲス カジバ 2 26
Ret 水谷勝 スズキ 0 14
DNS 樋渡治 スズキ - 15
DNS フレディ・スペンサー ホンダ - 31

250ccクラス決勝結果

順位 ライダー 車両 タイム グリッド ポイント
1 小林大 ホンダ 51:15.600 3 15
2 シト・ポンス ホンダ +27.013 8 12
3 ラインハルト・ロス ホンダ +27.551 7 10
4 清水雅広 ホンダ +39.118 1 8
5 マーチン・ウィマー ヤマハ +50.515 2 6
6 ファン・ガリガ ヤマハ +1:01.421 11 5
7 パトリック・イゴア ヤマハ +1:07.673 6 4
8 アントン・マンク ホンダ +1:20.079 10 3
9 田口益充 ホンダ +1:30.890 4 2
10 山本隆義 ヤマハ +2:26.062 20 1
11 和歌山利宏 ヤマハ +2:31.832 29
12 田村圭二 ヤマハ +2:32.654 18
13 ルカ・カダローラ ヤマハ +1 Lap 15
14 ハラルド・エッケル ホンダ +1 Lap 14
15 ジャン=フランソワ・バルデ ホンダ +1 Lap 25
16 ギ・バルタン ホンダ +1 Lap 27
17 竹村浩生 ホンダ +1 Lap 31
18 ジャン=ミシェル・マティオリ ヤマハ +1 Lap 30
19 マウリツィオ・ヴィターリ ガレリ +1 Lap 23
20 ブルーノ・ボンヒール ホンダ +1 Lap 33
Ret アラン・カーター ホンダ 13
Ret ファウスト・リッチ ホンダ 35
Ret ジャック・コルヌー ホンダ 9
Ret カルロス・カルダス ホンダ 32
Ret バージニオ・フェラーリ ホンダ 34
Ret マンフレート・ヘルヴェー ホンダ 22
Ret 喜多祥介 ホンダ 16
Ret ドニー・マクレオド EMC-ロータックス 26
Ret ステファン・メルテンス ホンダ 17
Ret ケビン・ミッチェル ヤマハ 28
Ret ジャン=フィリップ・ルジア ヤマハ 19
Ret ドミニク・サロン ホンダ 5
Ret 冨田英志 ホンダ 24
DNS 奥村裕 ホンダ - 12
DNS 長谷川喜久 ホンダ - 21
DNS カルロス・ラバード ヤマハ - 36

外部リンク


前戦
1986年のバーデン=ヴュルテンベルクグランプリ
ロードレース世界選手権
1987年シーズン
次戦
1987年のスペイングランプリ
前回開催
1967年の日本グランプリ
日本グランプリ 次回開催
1988年の日本グランプリ



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