国弘よう子とは? わかりやすく解説

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国弘よう子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/28 04:20 UTC 版)

国弘 よう子(くにひろ ようこ、2月10日[1] - 2025年2月26日)は日本の映画評論家ラジオパーソナリティ司会者。「国弘洋右子」「国弘洋子」「国弘陽子」とも表記。

経歴・人物

埼玉県出身[2]。高校1年の頃、学校の文化祭のために5人でバンドをつくりヴォーカリストとして活動していたところ、スパイダクション(田辺エージェンシーの前身)から国弘1人だけスカウトされたが「5人一緒じゃないとやりません」と断り、その代わりにザ・テンプターズのファンクラブの運営や機関誌の編集をしていたことがある[3]

1976年から1990年まで、山本直純立川清登羽田健太郎と共にエフエム東京新日鐵アワー・音楽の森」のパーソナリティを担当。

また女優としても活動し、1988年にはTBS系のテレビドラマ『ふたり』に出演したこともある[4]

SKIPシティ国際Dシネマ映画祭の選考委員や、日本映画批評家大賞の選考委員と司会者を務めた。

映画評論家としては淀川長治の弟子を名乗る[2]。映画ペンクラブ会員。

2025年2月26日、死去した。訃報は同年3月5日にBlue Radio.comより公表された[5]

出演番組

脚注




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