5月の節行き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/19 09:52 UTC 版)
「夜久野町における丹波漆と漆搔き」の記事における「5月の節行き」の解説
1887年(明治20年)頃の夜久野町における額田旦という地域を例にとると、世帯数21戸のうち宿屋1戸を除くすべてが農業を営むかたわら、漆掻きに従事していた。このように全戸が漆掻きというのは特別であるが、夜久野町の各地域で漆の掻き手は多くいたとされる。 盛時には、掻き手の方が多くいたため地元の木だけでは足りず、多くの掻き手が漆を求めて出稼ぎに行っていた。その掻き手が、5月の節の日に連れだって出稼ぎに行くので、これを「5月の節行き」と称していた。出稼ぎ先は、天田郡を中心に、京都府内はもとより若狭遠敷郡、但馬、美作、備中、さらには石見、九州まで出向いたとされる。出稼ぎ先では、掻き手は「掻きさん」と呼ばれ親しまれていた。
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