龍王城、松ヶ尾城の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 08:33 UTC 版)
家久はまた、大分郡の要衝である大友義統の龍王城も落とせなかった。 ただ、古来武家の大津留鎮益らは上記の龍王城の増援に向かわずを得ず、自らの松箇尾城はその留守中に陥落したとされている。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}松箇尾城 阿南郷 大津留村 在。天正之戦。城将鎮益 橋爪某與 大友義統従 豊前龍王城 在。武宮親實 臼杵城 在。故 三家支族 共興之の拠。遂 其全 得。 —『豊後国志』
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