鷹ノ巣城 (備中国)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 鷹ノ巣城 (備中国)の意味・解説 

鷹ノ巣城 (備中国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/06 07:37 UTC 版)

logo
鷹ノ巣城
岡山県
別名 鷹巣城
城郭構造 山城
主な城主 小早川隆景
遺構 曲輪、石垣
指定文化財 未指定
再建造物 なし
位置 北緯34度39分45.7秒 東経133度48分05.6秒 / 北緯34.662694度 東経133.801556度 / 34.662694; 133.801556座標: 北緯34度39分45.7秒 東経133度48分05.6秒 / 北緯34.662694度 東経133.801556度 / 34.662694; 133.801556
地図
鷹ノ巣城
テンプレートを表示

鷹ノ巣城(たかのすじょう)は、岡山県岡山市北区新庄上・新庄下にあった日本の城鷹巣城とも書く[1]

概要

笹ヶ瀬川の支流・足守川右岸の標高227メートルの江田山(鷹巣山)に位置し、西側は総社市との境、南東側は倉敷市との境となる。北側山麓には造山古墳千足古墳などがある。2つの曲輪で構成され、土塁堀切が残る[2]

日本城郭大系』では、天正10年(1582年)の 羽柴秀吉による備中高松城の戦いの際に小早川隆景が陣を構えた地とされ、石垣(石積み)が残るが[1]、これらの石垣(石積み)は築城とは無関係との指摘もある[2]

陰徳太平記』など近世軍記物によれば、小早川隆景が布陣したのは鷹ノ巣城の南東600メートルにある日差山(ひさしやま)の日差山城とされるが[3]、鷹ノ巣城とは稜線によって地続きで眺望も良いため、鷹ノ巣城についても高松城の戦いと関わりがあると考えられている[2]

なお『日本城郭大系』には「元・県指定史跡」とあるが、指定が解除された経緯等については記載されていない[1]

脚注

  1. ^ a b c 平井ほか 1980 p.488
  2. ^ a b c 岡山県古代吉備文化財センター 2020 p.452
  3. ^ 岡山県古代吉備文化財センター 2020 p.455

参考文献

  • 岡山県古代吉備文化財センター 2020「日差山城」『岡山県中世城館跡総合調査報告書](第2冊・備中編])』岡山県 p.455

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  鷹ノ巣城 (備中国)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「鷹ノ巣城 (備中国)」の関連用語

鷹ノ巣城 (備中国)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



鷹ノ巣城 (備中国)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの鷹ノ巣城 (備中国) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS