高谷覚蔵とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 高谷覚蔵の意味・解説 

高谷覚蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 08:57 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

高谷 覚蔵(たかや かくぞう、1899年1月1日1971年3月20日)は、社会運動家政治評論家。日本きってのソ連通として知られた。パルタイナーメ(共産党員名)は寺田。

経歴

滋賀県大津市生まれ[1]大阪高等工業学校の醸造科を卒業後、家業の酒屋を継がず、1922年アメリカへ渡り、アメリカ共産党に入党。1923年10月、片山潜の手引きでソ連に入り、東方勤労者共産大学を卒業後、1929年ソ連共産党員に転籍[2]コミンテルン極東部員、KGBの極東主要メンバーとして活動。その後、極東でオムス[3]を取り仕切っていたゲンリフ・リュシコフの片腕となる。1935年2月帰国。同年5月検挙され転向し[4][5]、その後陸軍参謀本部第5課(対ソ情報)嘱託として勤務した[1]。戦後はソ連評論家として活動すると共に、核兵器禁止平和建設国民会議の副議長を務めた[1]

参考文献

  • 『近代日本社会運動史人物大事典』日外アソシエーツ、1997年。ISBN:978-4-8169-1402-7
  • 『日本社会運動人名辞典」塩田庄兵衛編、青木書店、1979年。
  • 『レーニン・スターリン・マレンコフ : 体験から見たソ連の系譜』高谷覚蔵著、同光社磯部書房、1953年

脚注

  1. ^ a b c 『日外アソシエーツ whoplus』「高谷 覚蔵(タカヤ カクゾウ,社会運動家)」の項
  2. ^ 高谷覚蔵『レーニン・スターリン・マレンコフ : 体験から見たソ連の系譜』同光社磯部書房、1953年
  3. ^ コミンテルンの国際連絡機関。Otdel Mezhdunarodny Sviasy。
  4. ^ 『東京朝日新聞』1935年5月12日東京夕刊2頁「ロシヤ帰り高谷 共産党再建運動中捕る」
  5. ^ 田中清玄『田中清玄自伝』



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「高谷覚蔵」の関連用語

高谷覚蔵のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



高谷覚蔵のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの高谷覚蔵 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS