高尾嶺(たかおみね)伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/02 07:13 UTC 版)
「明神ヶ岳 (福島県)」の記事における「高尾嶺(たかおみね)伝説」の解説
貴種流離譚的な伝説は、奥会津と同じく残されている。昔、落武者夫婦と3人の子供がこの地の側の舘山の穴で隠遁生活をしていて、のちに今は堤の下になっている土地に住みついたのが、これが大谷地集落の始まりといわれる。 近年では、会津盆地が一望にできるため、戊辰戦争のときの見張り台の役割をはたしていた。旧暦の5月3日には山頂の祠に濁酒や肴を持ち寄って豊作の祈願祭が行われていたという。
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