飯田吉英
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飯田 吉英(いいだ よしふさ、1876年(明治9年) - 1975年(昭和50年))は、日本の畜産学者。養豚と食肉加工の分野で、大きな業績を残した。
- ^ 畜産試験場はその後、1980年(昭和55年)に茨城県の筑波研究学園都市に移転した。農業生物資源研究所を経て、現在は農業・食品産業技術総合研究機構。なお、畜産試験場があった千葉市中央区の青葉の森公園内には現在、「畜産技術研究発祥之地」の碑が建っている。
- ^ 例えば、1919年(大正8年)に開催された第1回畜産工芸博覧会(中央畜産会主催)にはいくつかのソーセージが出品されたが、金賞には該当者なく、主任審査官を務めた飯田は「風味色沢に於て欠陥を有するもの多し。」と評している。
- ^ 特に秘伝とされたのは、ケーシングの腸の洗浄法と、香辛料(防腐作用もある)のブレンド具合だったという。
- ^ 飯田が書いた「肉食問題の解決とソーセージ」(「畜産と畜産工芸」第10巻11号所収、中央畜産会刊、1924年(大正13年))には、我が国でソーセージを製造しはじめたのは「横浜在留の外人で、明治20年頃から漸次、京浜間の内・外人の間に売込まるるようになった」こと、しかし一般人が注目するようになったのはまったく最近のことで、「これは日独戦争後、独逸俘虜の在留するものが製造を開始したることが大なる動機である。」と記されている。
- ^ なお、アジア歴史資料センターのレファレンスコードA11113432200「元畜産試験場技師飯田吉英特旨叙位ノ件」によれば、1924年(大正13年)12月、飯田は行政整理により畜産試験場を退職し、位階を従五位に進められている
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