飯沼新田開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/02/16 15:36 UTC 版)
享保の改革の一環。 南西部の台地を開削して, 飯沼から菅生沼へ至る水路を開発。それによって飯沼を排水し, 新田とした。しかしこの排水は不十分であったため, 飯沼に流れ込む江川を飯沼の上流で分流し, 飯沼東縁に東仁連川, 西縁に西仁連川を開通させ, これらを飯沼の用排水路とした。しかしそれでも排水は不十分であり, 水害にたびたび襲われていた。そこで, 昭和の時代に, さらに別の水路を南西部の台地に開削し, もともと鬼怒川に注いでいた東仁連川をその水路に流下させ菅生沼に導く工事がなされた。
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