韓国における名称の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 05:53 UTC 版)
事件当時、国軍は、光州暴動 (광주폭동) と呼称し、その後、政府・与党側は、光州事態 (광주사태)、光州事件 (광주사건)、野党側は、光州抗爭 (광주항쟁)、光州民衆抗爭 (광주민중항쟁)、光州義擧 (광주의거) などと呼称した。1988年以降、光州民主化運動 (광주민주화운동) という名称が定着した。1988年、盧泰愚が大統領に当選した後に設置した民主和合推進委員会は「光州事態」を民主化運動として再定義し、(5.18)光州民主化運動と呼び改めることを提案した。そして1995年、金泳三政権で「5.18民主化運動に関する特別法」(ko) が成立して公文書でも広く使われるようになり、現在に至っている。「5.18光州事態」と呼ばれることも多い。
※この「韓国における名称の変遷」の解説は、「光州事件」の解説の一部です。
「韓国における名称の変遷」を含む「光州事件」の記事については、「光州事件」の概要を参照ください。
- 韓国における名称の変遷のページへのリンク