韋那磐鍬とは? わかりやすく解説

韋那磐鍬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/25 00:04 UTC 版)

韋那 磐鍬(いな の いわすき[1])は、飛鳥時代の人物。名は石次(いわつぎ[2])とも書く。は公。宣化天皇の後裔で、鏡王の子とする系図がある。官職近江守672年壬申の乱で大友皇子(弘文天皇)のために東国から兵力を動員する使者になったが、敵方に阻まれて逃亡し、任務に失敗した。


  1. ^ 旧仮名遣いでの読みは「ゐなのいはすき」
  2. ^ 旧仮名遣いでの読みは「いはつぎ」
  3. ^ a b 『古事記』
  4. ^ a b 『日本書紀』宣化天皇元年3月8日条
  5. ^ a b 先代旧事本紀』巻第九,帝皇本紀
  6. ^ 『日本書紀』白雉元年2月15日条
  7. ^ 太田亮『姓氏家系大辞典』角川書店,1963年
  8. ^ 佐伯[1994: 65]
  9. ^ a b c 鈴木真年『百家系図』巻59,為奈真人姓


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