雄神神社 (砺波市)とは? わかりやすく解説

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雄神神社 (砺波市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/17 05:51 UTC 版)

雄神神社
雄神神社
所在地

富山県砺波市庄川町庄字広谷6446

36°35'29.4"N 136°59'49.3"E
位置 北緯36度35分29.4秒 東経136度59分49.3秒 / 北緯36.591500度 東経136.997028度 / 36.591500; 136.997028座標: 北緯36度35分29.4秒 東経136度59分49.3秒 / 北緯36.591500度 東経136.997028度 / 36.591500; 136.997028
主祭神 高龗神・闇龗神
社格 式内社(小)・郷社
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雄神神社(おがみじんじゃ)は、富山県砺波市(旧庄川町)にある神社である。通称、庄の宮、雄神様。庄下郷の総社である。旧社格郷社

この神社の一帯を「雄神の庄」(庄は荘園の意)と呼んだことから、そこを流れる川が庄川という名称になった。かつては、やはり当社に因んで雄神川と呼ばれていた。

水神高龗神・闇龗神(たかおかみ・くらおかみ)を主祭神とし、瀬織津姫神を配祀する。

歴史

創建の年代は不詳である。国史の初見は、『日本紀略延暦14年(795年)8月18日条で高瀬神雄神二上神に従五位上の神階を授けたという記述である。さらに以前、正倉院に収められている天平宝字3年(759年)11月14日のこの周辺の地図(越中国砺波郡石粟村官施入田地図)には、当社と荊波神社との土地の分配についての記述がある。延喜式神名帳には礪波郡七座のうちの一社として記載されている。

社名の「雄神」は、延喜式神名帳でそのすぐ上に「比賣神社」が書かれていることから「比賣神」(姫神)に対する「雄神」であるとも、祭神が男神であるからともいう。ただし、現祭神の二神の龗神(おかみのかみ)は、社名からの附会であるとされる。

元々は庄川の近くに社地があったが、寛文3年(1663年)、洪水により本殿と拝殿の間に庄川の新しい流路ができてしまった。そのため、宝永7年(1710年)に本殿を高台の現在地に遷座し、残った拝殿に本殿と同じ神を勧請して元雄神神社とした。後に、雄神神社の摂社で、宇賀弁才天を祀る弁財天宇賀社を元雄神神社に合祀し、元雄神神社を弁才天社に改称した。弁才天社では33年に一度御開帳が行われ、多数の参拝者が訪れる。

中世、越中国一向宗徒福光城主の石黒氏を滅ぼし、その領地にあった高瀬神社一向宗徒の支配下に入ったとき、高瀬神社の一部の神職が当社に転じている。現在でも両社は関係が深く、宮司は両社で兼任されている。

参考文献

  • 庄川町史編さん委員会 『庄川町史上巻』(122頁~130頁) 庄川町 昭和50年



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