雄群村
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/05 06:04 UTC 版)
雄群村[1](おぐりむら[2])は1926年(大正15年)まで愛媛県温泉郡にあった村である。現在の松山市中心市街地の南部に接する地域。
- ^ 雄郡村とも表記される(松山市の市町村合併に関するハンドブック、三 道後平野の条里集落 - 生涯学習情報提供システム 愛媛県生涯学習センター)。
- ^ 角川日本地名大辞典〈38〉愛媛県. 角川書店
- ^ 『角川日本地名大辞典38愛媛県』p179「小栗」の項による。なお松山市には大栗と書いて本来の読みは「おおぐり」であるが、慶長年間には「おぐり」と読ませていた地域がある。同p152
- ^ 小学校が立地しているのは雄郡町ではなく藤原町。
- ^ 旧小栗村区域は急速に市街化が進んだため細分されて、現在の住居表示では「小栗(おぐり)」「小栗町」「雄郡(ゆうぐん)」に分かれている。
- ^ 鶴本房五郎 『余土村誌』 1925年、827頁
- ^ 『官報』 1922年10月14日
- ^ 『たちばなの郷』 75頁
- ^ 1916年に設立された神官兼小学校教員養成学校。戦後の神道指令により廃校となる(末広町誌編纂委員会 『末広町誌 末広町の30年』 2014年、66頁)。
[続きの解説]
- 雄群村のページへのリンク