隋の西城郡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/28 14:50 UTC 版)
552年(廃帝元年)、西魏の王雄が上津郡・魏興郡を平定し、その地に東梁州を置いた。554年(廃帝3年)、東梁州は金州と改められた。 607年(大業3年)、隋により州が廃止されて郡が置かれると、金州は西城郡と改称された。西城郡は金川・石泉・洵陽・安康・黄土・豊利の6県を管轄した。 618年(武徳元年)、唐により西城郡は金州と改められ、西城郡の呼称は姿を消した。
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