隋の衡山郡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/05 15:35 UTC 版)
589年(開皇9年)、隋が南朝陳を滅ぼすと、衡陽郡が廃止されて衡州に編入された。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、衡州は衡山郡と改称された。衡山郡は衡陽・耒陰・湘潭・新寧の4県を管轄した。 621年(武徳4年)、唐が蕭銑を平定すると、衡山郡は衡州と改められ、衡山郡の呼称は姿を消した。
※この「隋の衡山郡」の解説は、「衡山郡」の解説の一部です。
「隋の衡山郡」を含む「衡山郡」の記事については、「衡山郡」の概要を参照ください。
- 隋の衡山郡のページへのリンク