隆信の挑戦状
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/08 09:13 UTC 版)
隆信は永禄元年(1558年)にも勝利討伐の兵を山内に差し向けたことがあったが、逆に山内の地形を熟知した勝利に鉄布峠の戦いで小河信安、石井兼清ら重臣を討たれるほどの大敗を喫し、辛酸を嘗めた経験があった。 その為、勝利を破るためには平野部に誘き出す必要があると考えた隆信は、勝利に使者を送って「合戦して家の安否を定めたい」と正面から挑戦状を突きつけると、勝利は「かねてより望むところ」と返答し、9月13日に川上辺(現川上峡近辺)にて兵を率いて見参し、雌雄を決する戦を行うことを約した。
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