長栄寺 (恵那市)とは? わかりやすく解説

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長栄寺 (恵那市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/10 07:18 UTC 版)

長栄寺
所在地 岐阜県恵那市長島町中野568
位置 北緯35度27分15.9秒 東経137度24分11.7秒 / 北緯35.454417度 東経137.403250度 / 35.454417; 137.403250座標: 北緯35度27分15.9秒 東経137度24分11.7秒 / 北緯35.454417度 東経137.403250度 / 35.454417; 137.403250
山号 法昌山
宗派 曹洞宗
本尊 聖観世音菩薩座像
創建年 寛文年間
開山 正峯祖全
札所等 恵那三十三観音霊場二番
法人番号 7200005009167
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長栄寺(ちょうえいじ)は、岐阜県恵那市長島町中野にある聖観世音菩薩を本尊とする曹洞宗の寺院。山号は法昌山。恵那三十三観音霊場二番。

歴史

慶長5年(1600年)に、可児郡中村[1]の大智山愚渓寺住の正峯祖全が大崎の地に結んだ宝福庵をその嚆矢とする。

寛文元年(1661年)に長栄寺に寺号を改め、恵那郡竹折村にある瑞現寺の末寺となった。

天和元年(1681年)に中尾山 威徳院の跡地である現在地に移転した。

元禄3年(1690年)庫裡を建立。

宝永8年(1711年)客殿の建立がなされた。

文政12年(1829年)瑞現寺十世の霊一如童により法地となった。

嘉永2年(1849年)には竜宮門の形式で鐘楼門が建てられた。

嘉永6年(1853年)、恵那郡東野村宗久寺の伽藍が焼失したが、

安政6年(1859年)に長栄寺の金端俊猊が再建した。

現在の庫裡は昭和11年(1936年)に再建されたものである。

平成30年(2018年)には本堂の改築が行われている。

寺の背後にある山には7世紀後半頃の能万寺古墳群があり、岐阜県の史跡に指定されている。

関連寺院

脚注

  1. ^ 現在の岐阜県可児郡御嵩町中

参考文献

  • 『恵那市史』 通史編 第2巻 第八章 江戸時代の社会生活と文化 第二節 社寺と文化 二 仏教と寺院 長栄寺 p1054~p1056 1989年
  • 『恵那郡史』 第八篇 現代 第四十一章 人文の発展(一) 【各宗寺院】 p612~p619 恵那郡教育会 1926年



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