長岩城_(筑後国)とは? わかりやすく解説

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長岩城 (筑後国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/30 06:30 UTC 版)

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長岩城
福岡県
城郭構造 山城
築城主 長谷部信連または問註所康行
築城年 文治年間または正和2年(1313年
主な城主 問註所氏
廃城年 天正15年(1587年)頃
指定文化財 未指定
位置 北緯33度16分41.9秒 東経130度49分29.3秒 / 北緯33.278306度 東経130.824806度 / 33.278306; 130.824806
地図
長岩城
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長岩城(ながいわじょう)は、福岡県うきは市にあった日本の城山城)。

概要

筑後川支流である隈上川の上流域の、標高約407mの山の中腹に築かれていた。本丸、二の丸、三の丸が階段状に配され、本丸の背後には屋敷や倉庫があった。また、南東の標高約500mの山頂部に松尾城があった。

『筑後将士軍談』によれば文治年間に長谷部信連が、『問註所家系譜』によれば正和2年(1313年)に問註所康行が築いたとされる。当城が史料に具体的に表れるのは天正年間以降で、天正8年(1580年)には大友氏の傘下にあった問注所統景が3年間籠城したという記録がある。天正15年(1587年)の九州国分で統景は大友氏から離れて豊臣秀吉に直接仕え、後に小早川隆景与力となった。この時期に当城は廃城になったとされる。

参考文献

関連項目




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