鎌田正清の扱い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 01:19 UTC 版)
『愚管抄』によれば、鎌田正清は「義朝の一の郎等」とあり、義朝の乳母子であった。彼が白河殿攻撃の司令官として、何度も攻撃を行ったとある。しかし、物語(特に半井本)では、為朝の弓に恐れをなして、逃亡、その後も恐れおののいて前線に出ることさえできなかった人物として描かれている。また、為義を処刑するときにも、半井本では体が震えて首を打つことさえできず、波多野義通に譲っている。全体に、物語は鎌田に対する扱いが、史実と比較すると悪くなっている。
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