鎌田政虎とは? わかりやすく解説

鎌田政虎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/07 07:56 UTC 版)

鎌田 政虎(かまた まさとら、永禄6年(1563年) - 天正13年8月10日1585年9月30日))は安土桃山時代薩摩国島津氏の家臣。通称は又七郎、左京亮。父は鎌田政近、母は稲留(相良)長秀の娘。

鎌田政近の嫡子として誕生した。天正13年(1585年)、木脇祐昌地頭として在城する肥後国花の山城への番を仰せ付かった。そこへ向かう途中の8月10日の晩に、花の山城下にて甲斐親英が阿蘇8千町の兵を率いて城を攻めていると聞き知る。政虎は急ぎ城を攻囲する敵勢を打ち破って入城すると、西ノ口の守りを請け負い祐昌と共に防戦に努めた。しかし、防戦虚しく手負いとなり、討ち死にを遂げた。 享年23。法名は「蘭室隆香居士」。

なお、この戦いにより城は落城、城主の木脇祐昌ならびに、祐昌を救援に来た相良氏の深水摂津介(深水長智の嫡子)らも討ち死にしている。

参考文献

  • 本藩人物誌』 鹿児島県史料集(13)(鹿児島県史料刊行委員会)

鎌田 政虎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/12/31 14:01 UTC 版)

「鎌田政虎」の記事における「鎌田 政虎」の解説

天正13年8月10日1585年9月30日))は安土桃山時代薩摩国島津氏家臣通称は又七郎左京亮。父は鎌田政近、母は稲留(相良)長秀の娘。

※この「鎌田 政虎」の解説は、「鎌田政虎」の解説の一部です。
「鎌田 政虎」を含む「鎌田政虎」の記事については、「鎌田政虎」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「鎌田政虎」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「鎌田政虎」の関連用語

鎌田政虎のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



鎌田政虎のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの鎌田政虎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの鎌田政虎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS