金仁旭とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 金仁旭の意味・解説 

金仁旭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/15 23:56 UTC 版)

金仁旭
生誕 1892年5月1日
朝鮮国平安南道龍岡郡
死没 不明
所属組織  大日本帝国陸軍
最終階級 中佐
テンプレートを表示
金 仁旭
各種表記
ハングル 김인욱
漢字 金 仁旭
発音: キム・イヌク
各種表記(創氏改名・通名)
漢字 金海 旭
テンプレートを表示

金 仁旭(キム・イヌク、김인욱)は、大日本帝国陸軍軍人創氏改名による日本名金海 旭[1][2]

経歴

韓国陸軍武官学校在学中に日本の陸軍幼年学校に編入。1915年5月、陸軍士官学校第27期卒業。歩兵第48連隊に配属[3]。同年12月25日、少尉任官[4]

1919年4月15日、歩兵中尉[5]

1925年8月7日、歩兵大尉[4]。同年9月15日、歩兵第77連隊大隊副官[6]

1927年3月15日、歩兵第77連隊中隊長[7]

1928年、第77連隊第3大隊第9中隊長として第2次山東出兵に参加し、5月から8月まで遼東半島に駐留した[8]

1929年12月10日、歩兵第77連隊附[9]

1932年9月、平安北道江界守備隊第1中隊長として鴨緑江対岸を行き来し、抗日武装部隊に大きな打撃を与えた[8]

1933年3月18日、李王垠御附武官[10]

1934年3月5日、歩兵少佐[4]

1935年8月1日、歩兵第74連隊[4]

1937年6月、第19師団所属で咸鏡道間島一帯で活動していた抗日武装部隊を攻撃。咸鏡南道三水郡の鴨緑江辺に位置する新乫坡鎮から約14キロ以北の密林地帯に集結した金日成崔賢、曺国安連合部隊を恵山鎮部隊を率いて攻撃し、隊員50余名を射殺し、多くの負傷者を出した[8]

1944年10月3日、独立混成第17旅団司令部附から咸興陸軍兵事部課長[11]

1945年3月31日、予備役被仰付[12]。平壌に居住していたところソ連軍に連行され、消息不明[8]

死後は親日反民族行為者に認定された[13]

勲章

  • 勲六等瑞宝章 1928年11月[8]
  • 勲五等瑞宝章 1934年2月[8]
  • 満州国建国功労章 1934年3月[8]

出典

参考文献

  • 친일인명사전편찬위원회 編 (2009). 친일인명사전 1. 친일문제연구총서 인명편. 민족문제연구소. ISBN 978-89-93741-03-2 



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「金仁旭」の関連用語

金仁旭のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



金仁旭のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの金仁旭 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS