野田弘朝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/21 06:52 UTC 版)
野田 弘朝(のだ ひろとも)は、戦国時代の武将。足利氏(古河公方)の家臣。関東野田氏当主。下総国栗橋城主。
- ^ a b c d 『戦国人名辞典』788頁(見出し「野田弘朝」の解説・長塚孝執筆)
- ^ a b c 佐藤博信「野田家文書の伝来と現状」 『野田家文書』、9-16頁。 なお本稿は、佐藤博信 『中世東国の権力と構造』 校倉書店、2013年、281-300頁 にも収録。
- ^ 『野田家文書』 No.41 「野田家文書」
- ^ 『野田家文書』 No.42 「野田家文書」
- ^ a b 『野田家文書』 No.61 「野田家文書」
- ^ 『野田家文書』 No.63 「野田家文書」
- ^ 古河市史通史編、209頁(藤氏らの反撃)
- ^ 佐藤博信「付論「嶋之 上様」のこと」 『中世東国の支配構造』、129-133頁
- ^ 『野田家文書』 No.53~55、いずれも「野田家文書」
- ^ 『野田家文書』 No.57 「野田家文書」
- ^ 黒田基樹 『古河公方と北条氏』 岩田書院、2012年、77 – 89頁(栗橋城主野田氏の没落)
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