野中宮山古墳とは? わかりやすく解説

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野中宮山古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/09 15:23 UTC 版)

野中宮山古墳

墳丘
所属 古市古墳群
所在地 大阪府藤井寺市野中2丁目
位置 北緯34度33分36.9秒 東経135度36分8.5秒 / 北緯34.560250度 東経135.602361度 / 34.560250; 135.602361
形状 前方後円墳
規模 墳丘長154メートル
埋葬施設 竪穴式石槨
出土品 銅製品
築造時期 4世紀末葉
被葬者 不明
史跡 指定なし
有形文化財 指定なし
地図
野中宮山
古墳
大阪府内の位置
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はざみ山古墳(上)と野中宮山古墳(下)の空中写真
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

野中宮山古墳(のなかみややまこふん)は、大阪府藤井寺市野中2丁目にある前方後円墳

立地と規模

古市古墳群のほぼ中央、誉田御廟山古墳の西、墓山古墳の北、はざみ山古墳の南に位置する。規模は全長約154メートルであり、後円部は径が約100メートル、高さ約14.1メートル、前方部は幅が約75メートル、高さ約10.1メートルである。

概要

墳丘は三段築成で、くびれ部の両側には造り出しがある。周囲に周濠と堤をめぐらし、堤の外側には区画用とみられる掘り込みが掘削されていることが発掘調査により明らかになっている。現在、後円部上には野中神社、前方部には幼稚園があるなど、墳丘の改変が著しい。

後円部頂に板石が散乱していることから、竪穴式石槨の存在が推定される。板状の銅製品の出土が伝わっている以外、副葬品は不明。1984年(昭和59年)・1985年(昭和60年)の発掘調査により、葺石円筒埴輪列の存在が確認された。また、南側の造出しからは、家、蓋、盾、囲み、水鳥、鶏、馬、猪などの形象埴輪が出土した。これらの埴輪や、前方部が後円部に対して短小・低平であるという墳形上の特徴から、4世紀末葉の築造と推定されている[1]

脚注

  1. ^ 教育委員会事務局教育部 文化財保護課. “野中宮山古墳”. 藤井寺市. 2025年3月10日閲覧。

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