重力研究財団
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/15 19:48 UTC 版)
Gravity Research Foundation
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ニューハンプシャー州ニューボストンにある財団の記念碑
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設立 | 1948年 |
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設立者 | ロジャー・バブソン |
法的地位 | 活動中 |
目的 | 重力の研究 |
ウェブサイト | www |
重力研究財団(じゅうりょくけんきゅうざいだん、The Gravity Research Foundation)は、1948年に起業家でバブソン大学の設立者であるロジャー・バブソンが設立した組織である[1]。
元々は重力を遮蔽する方法を研究するために設立されたが[2][3]、後に、重力を理解することを目的とするように変化した。この財団では毎年、重力に関する優秀な科学論文に対する賞を授与している[4]。受賞者には最高4千ドルの賞金が授与され、過去の受賞者の中から後にノーベル物理学賞の受賞者が6人出ている。また、ニューハンプシャー州ニューボストンで重力に関する会議を開いていたが、1967年にバブソンが亡くなった後は開催されていない。全米10以上の大学に、バブソンが寄贈した石碑がある[5]。
歴史

バブソンはエッセイ"Gravity – Our Enemy Number One"(重力―我々の敵ナンバーワン)の中で、重力に興味を持ったのは、幼少期に妹が溺死したことに由来すると述べ、「龍のように襲いかかり彼女をどん底に突き落とす重力に、彼女は抗うことができなかった」と書いた[6][7]。マサチューセッツ工科大学の土木工学の授業で、ジョージ・フィルモア・スウェイン教授が株式のチャートを使って作用反作用の法則の説明をしたことを応用して、バブソンは投資コンサルタント兼投資家として財を成した[7]。
1949年当時、重力の研究はあまり重視されていなかった[7]。バブソンは、重力の研究を活性化するための方法を、自身が設立した投資コンサルタント会社の社長を務めるジョージ・ライトアウトに相談した。ライトアウトは財団を設立して重力に関する論文を募集し賞を授与してはどうかと提案し、バブソンはこれを受け入れた[7][注釈 1]。バブソンは、ニューハンプシャー州のニューボストンという小さな町のいくつかの建物に分散して財団を設立した[9]。バブソンがこの街を選んだのは、核戦争が起こっても大都市から離れていれば生き残れるだろうと考えたためである。バブソンは、「ニューボストンは第三次世界大戦が起きても北米で最も安全な街だ」と宣言する看板を立てようとしたが、住民たちの意見により、「安全な場所」というだけの表現に留めた[10]。財団設立の会合は1949年1月19日に開かれた[7]。
同財団は重力に関する会議を時折開催し、冷凍食品で有名なクラレンス・バーズアイやヘリコプターを発明したイーゴリ・シコールスキイなどが参加した[11]。会議の出席者は、重力と釣り合いを取るために、足が頭よりも高くなる椅子に座ることもあった[12]。
しかし、同財団の主要な活動は、重力に関する論文に対する賞の授与だった[13]。ニューボストンの財団本部にはニ・三人の職員しかいなかった。
時が経つにつれ、同財団は、「変人のような」雰囲気を払拭し、重力を妨げる研究から、重力を理解する方向に変化した。バブソンが書いた第1回の論文募集の発表文には、「反重力装置、重力の遮蔽体・反射体・吸収体、重力を吸収して熱に変換する物質の提案に賞を与える」と書かれていた。そのため、科学者たちはこの賞に興味を示さなかった。理事長のライドアウトは、この文章が優秀な科学者からの論文応募の妨げになっていると認識し、「重力を理解することで、その応用もできるようになる」とバブソンを説得し、反重力という文言を削除して、単に重力に関する論文を募集すると書き換えた[7]。
1967年にバブソンが亡くなってからしばらくして、この財団の活動も消滅した。ニューボストンに残る同財団の痕跡は、交通島に設置された、財団の活動を称える花崗岩の石版のみである。財団の会議が開かれていた建物は、長い間飲食店として使用されていた。一時は「グラビティ・タバーン」(重力の酒場)という名前のバーがあったが、後に改名された[14]。賞の授与は継続して行われており、最高4千ドルの賞金が授与される。2020年現在、マサチューセッツ州ウェルズリーで、初代理事長の息子であるジョージ・ライドアウト・ジュニアが賞を運営している。
受賞者の中には、6人のノーベル物理学賞受賞者も含まれている。ロジャー・ペンローズ(1975年受賞)、ジョージ・スムート(1993年受賞)、ジュリアン・シュウィンガー、マーチン・パール、ヘーラルト・トホーフト、フランク・ウィルチェックである。その他の受賞者に、スティーヴン・ホーキング(1971年受賞)、ヤコブ・ベッケンシュタイン、シドニー・コールマン、ブライス・ドウィット、デメトリオス・クリストドゥールー、デニス・シャーマ、ジェロルド・E・マースデン、ロバート・ウォールド、ジョン・ホイーラーなどがいる[15]。
記念碑
1960年代、バブソンは多くの大学に重力研究のための助成金を与え、その大学に助成金交付の理由を刻んだ石碑を立てた[16]。
バブソンから石碑を受け取った大学:
- ベスーン=クックマン大学(フロリダ州デイトナビーチ)
- コルビー大学(メイン州ウォータービル)
- イースタン・バプテスト大学(ペンシルベニア州セント・デイヴィッズ)
- イースタン・ナザレン大学(マサチューセッツ州クインシー)
- エモリー大学(ジョージア州アトランタ[17])
- ゴードン大学(マサチューセッツ州ウェナム)
- ホバート・アンド・ウィリアム・スミス大学(ニューヨーク州ジェニーバ)
- キーン州立大学(ニューハンプシャー州キーン[18])
- ミドルベリー大学(バーモント州ミドルベリー)
- トリニティ・カレッジ(コネチカット州ハートフォード)
- タフツ大学(マサチューセッツ州メドフォード[19])
- タスキーギ大学(アラバマ州タスキーギ)
- タンパ大学(フロリダ州タンパ)
- ホイートン大学(イリノイ州ウィートン)
タフツ大学では、バブソンからの寄付金を元にタフツ宇宙論研究所を設立した。同研究所でPhDを取得した学生は、アイザック・ニュートンの万有引力発見の伝説に因んで、この石碑の前で博士論文指導教官から頭の上にリンゴを落とされる儀式を受ける[19]。
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ゴードン大学の重力研究財団記念碑
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イースタン・ナザレン大学の重力研究財団記念碑
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エモリー大学の重力研究財団記念碑
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タンパ大学の重力研究財団記念碑
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ミドルベリー大学の重力研究財団記念碑
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ホイートン大学の重力研究財団記念碑
脚注
注釈
出典
- ^ "Sir Isaac Babson" (1948, August, 23). Newsweek, 32(8), p. 47.
- ^ Babson, R. W. (1950). Chapter XXXV – Playing with Gravity, Actions and Reactions [Second Revised Edition]. New York: Harper & Brothers Publishers [1] Archived 2007-09-27 at the Wayback Machine. Page over to Chapter XXXV for Roger W. Babson's description of the Gravity Research Foundation.
- ^ Rideout, George M (2008), “1949–2009 Sixty years Gravity Research Foundation P.O. Box 81389, Wellesley Hills, MA 02481-0004, USA”, General Relativity and Gravitation 40 (12): 2685–2686, Bibcode: 2008GReGr..40.2685R, doi:10.1007/s10714-008-0680-y
- ^ Witten, L. (1998). Introductory remarks on the Gravity Research Foundation on its fiftieth anniversary. In N. Dadhich & J. Marlikar (Ed.). Gravitation and Relativity: At the Turn of the Millennium [p. 375]. 15th International Conference on General Relativity and Gravitation. Pune, India: Inter-University Centre for Astronomy and Astrophysics. ISBN 81-900378-3-8
- ^ Chronicle of Higher Ed: "A Visionary's Dream of Antigravity"
- ^ See Appendix Intro. 3: Gravity – Our Enemy Number One. In Harry Collins (2004). Gravity's Shadow: The Search for Gravitational Waves. Chicago, IL: The University of Chicago Press. ISBN 978-0-226-11378-4
- ^ a b c d e f “Founding of the Gravity Research Foundation”. Gravity Research Foundation. 2024年3月15日閲覧。
- ^ Valone, T. (Ed.) (2001, January). Electrogravitics Systems: Reports on a New Propulsion Methodology [p. 4]. Washington, DC: Integrity Research Institute.
- ^ Mooallem, J. (2007, October). A curious attraction. Harper's Magazine, 315(1889), pp. 84-91.
- ^ New Boston Historical Society history of New Boston, page 113
- ^ Kaiser, D. (2000). Chapter 10 – Roger Babson and the Rediscovery of General Relativity. Making Theory: Producing Physics and Physicists in Postwar America [PhD Dissertation]. Harvard University, pp. 567-594.
- ^ “Article on town website”. 2012年4月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年10月3日閲覧。
- ^ "Trouble with Gravity, The" (1950, January, 2). Time, 55, p. 54.
- ^ “Union-Leader Moly Stark name returns”. 2016年3月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年10月8日閲覧。
- ^ GRF Award Winning Essays Archived 2012-12-28 at the Wayback Machine.
- ^ Popular Science: "Gravity's Sworn Enemy"
- ^ Emory University: Gravity Monument
- ^ Waymarking.com: Keene State anti-gravity monument
- ^ a b “Tufts Now: Defying Gravity”. タフツ大学 (2015年4月8日). 2024年3月15日閲覧。
外部リンク
- (archive 2013-05-29)
- Article about Gravity Research Foundation on the New Boston Historical Society website
- Babson, Roger W. (1950). Chapter XXXV – Playing with Gravity, Actions and Reactions [Second Revised Edition]. New York: Harper & Brothers Publishers [2] Archived 2007-09-27 at the Wayback Machine. Page over to Chapter XXXV for Roger W. Babson's description of the Gravity Research Foundation.
石碑に関するリンク
- The story of the Emory Gravity Monument
- Colby's Gravity Monument
- John Debruicker (2006年3月9日). “"Anti-Gravity Stone" has a strange story and an even stranger history”. 2006年6月4日閲覧。 Article about Colby College monument
- 重力研究財団のページへのリンク