酒瀬川武安とは? わかりやすく解説

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酒瀬川武安

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/01 08:51 UTC 版)

 
酒瀬川武安
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 天正12年3月24日1584年5月4日
別名 通称:豊前兵衛(奉膳兵衛とも)
主君 島津義弘
氏族 酒瀬川氏
豊前兵衛

酒瀬川 武安(さかせがわ たけやす)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将島津氏の家臣。

略歴

本藩人物誌』に、「武功抜群の人での上手なり」と記される人物で、敵の城内に忍び入り諜報活動を行う役目を担っている。また、武将としても島津義弘の供をし、永禄9年(1566年)の日向国三ツ山城攻めなどに従軍、特に天正6年(1578年)の耳川の戦いでは、伊地知重政・富山備中守と共に300余の兵で敵の通り道に伏兵し、敵の荷駄隊を襲って騎馬1人と足軽73人を討ち取り荷駄を奪う功を上げた。天正年間には、軍議に参加する人数54人のうち日向3城の一人に数えられる。

天正12年(1584年)、沖田畷の戦いに従軍した際に討ち死にした。子に同名の豊前兵衛(不明、天正15年(1587年)に戦死)がいる。

出典

  • 本藩人物誌』 鹿児島県史料集(13)(鹿児島県史料刊行委員会)



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