郝玼とは? わかりやすく解説

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郝玼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/12 01:28 UTC 版)

郝 玼(かく し、生没年不詳)は、唐代中期の軍人

経歴

涇原の戍将として身を立てた。貞元年間、臨涇鎮将となった。勇敢にして匹敵する者なく、その威名は周辺民族にまで伝わった。郝玼は臨涇の地を吐蕃の侵攻を防ぐ要衝とみなして、これを強化するよう涇原節度使の馬璘に進言したが、馬璘は聞き入れなかった。段佐が涇原節度使となると、郝玼の意見は聞き入れられた。元和3年(808年)、臨涇県の築城を請願し、朝廷に聞き入れられた。原州の州治は臨涇県に移されると、郝玼は刺史としてここに駐屯した。これより以降、吐蕃の侵攻があっても臨涇県を越えないようになった[1][2]

郝玼は西北辺境にあること30年、戦うたびに吐蕃の捕虜を得て、必ず腹をえぐってその遺体を返したので、吐蕃の人々に神のように恐れられた。吐蕃のツェンポのティデ・ソンツェンは郝玼の生け捕りにその身体と同量の賞金をかけた。元和13年(818年)、郝玼は検校左散騎常侍・渭州刺史・御史大夫となり、涇原行営節度・平涼鎮遏都知兵馬使をつとめ、保定郡王に封じられた[3][2]。元和15年(820年)、慶州刺史に転じた[4]。のちに寿命で死去した[3][2]

脚注

  1. ^ 旧唐書 1975, pp. 4077–4078.
  2. ^ a b c 新唐書 1975, p. 5181.
  3. ^ a b 旧唐書 1975, p. 4078.
  4. ^ 旧唐書 1975, p. 483.

伝記資料

参考文献




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