那須資重とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 那須資重の意味・解説 

那須資重

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/20 13:35 UTC 版)

Jump to navigation Jump to search
 
那須資重
時代 室町時代
生誕 不明
死没 不明
別名 次郎、沢村五郎
戒名 玉岩[1]
氏族 沢村氏→那須氏(下那須家)
父母 父:那須資氏
兄弟 資之資重、資朝?
佐竹義盛
資持

那須 資重(なす すけしげ)は、室町時代武将。下那須家当主。下野国沢村城、のち烏山城主。

那須氏11代当主・那須資氏の子として誕生。当初は沢村氏を継承したが、応永年間(1394年 - 1427年)に兄で那須氏12代当主・資之に疎まれ攻撃を受け沢村城を退去、稲積城に移った。応永23年(1416年)、上杉禅秀の乱が勃発すると資重は鎌倉公方足利持氏方に与する。兄・資之は室が上杉禅秀の娘であった関係で禅秀方に与したが、持氏の勝利後はその後ろ盾を得て結果的に那須氏の分裂を恒常的なものにした。応永25年(1418年)、烏山城を築き居城とした。

地元では資之が資重の器量の方が優れていたことに嫉妬したためこれを排斥した、また沢村城を脱出した資重が烏の導きにより烏山の地に城を築いたという伝承がある。

脚注

  1. ^ 『那須譜見聞録』

出典

  • 『那須譜見聞録』



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「那須資重」の関連用語

那須資重のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



那須資重のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの那須資重 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS