選挙制度違憲訴訟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 18:07 UTC 版)
1996年10月の第41回衆議院議員総選挙に、朝木は東京20区から無所属で出馬し、落選した。この選挙から適用された改正公職選挙法が、「届け出政党に所属する候補者を優遇する一方、無所属候補の選挙運動を制限するもの」だとして、朝木は矢野らとともに、選挙の無効確認を東京高裁に訴えた。東京高裁はこの請求を、1997年12月15日に却下した。
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