遍照院_(知立市)とは? わかりやすく解説

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遍照院 (知立市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/20 14:54 UTC 版)

遍照院

本堂
所在地 愛知県知立市弘法町弘法山19
位置 北緯34度59分43.74秒 東経137度2分41.99秒 / 北緯34.9954833度 東経137.0449972度 / 34.9954833; 137.0449972座標: 北緯34度59分43.74秒 東経137度2分41.99秒 / 北緯34.9954833度 東経137.0449972度 / 34.9954833; 137.0449972
山号 弘法山
宗派 真言宗豊山派
本尊 弘法大師秘仏)、波切不動尊
創建年 伝・815年弘仁6年)
開基 伝・空海
別称 見返弘法、知立の弘法さん
札所等 東海三十六不動尊18番
三河三弘法1番
三河新四国八十八ヶ所霊場番外札所
法人番号 3180305004766
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遍照院(へんじょういん)は、愛知県知立市弘法町にある真言宗豊山派寺院

概要

山号は弘法山。本尊は空海自らが彫ったと伝承される見返り姿の自像。三河三弘法の一番札所であり、第二番西福寺、第三番密蔵院とつづく。このため、地元では「見返弘法」や「知立の弘法さん」として親しまれ、縁日には多くの参拝客で賑わう。

歴史

寺伝によれば、815年弘仁6年)に空海(弘法大師)は、関東巡錫の途中にこの地に約1か月滞在した。この際に空海は3体の自像を彫り、このうち一体を本尊として遍照院が創建されたという。

1673年延宝元年)には刈谷藩藩主の祈願寺として、上重原(現在の知立市)から現在地へ移転した。1979年昭和54年)には本堂が落慶した。

文化財

  • 阿弥陀如来立像・伝秋葉権現坐像・僧形坐像・地蔵菩薩立像(知立市指定文化財)
  • 不動明王立像(知立市指定文化財)
  • 薬師如来坐像(知立市指定文化財)
  • 大般若波羅蜜多経(知立市指定文化財)

ギャラリー

行事

  • 毎月旧暦21日 - 空海命日の縁日。
  • 旧暦3月21日 - 善の綱。本尊の開帳。

現地情報

所在地

アクセス

脚注

注釈

  1. ^ かつては駅構内・名古屋本線上り6番ホーム(豊橋寄り)にあった[1]が、駅周辺の連続立体交差事業に伴い、移設されている[2]

出典

  1. ^ 根本幸男「名鉄電車 もう一度 歩き乗り記」『鉄道ピクトリアル』第816巻、電気車研究会、2009年3月、 246-247頁。
  2. ^ 渡辺桂一「トピック・フォト」、『鉄道ピクトリアル』第970巻、電気車研究会、2020年3月、 99頁。

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