貞子女王_(徳川重好室)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 貞子女王_(徳川重好室)の意味・解説 

貞子女王 (徳川重好室)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/30 06:15 UTC 版)

貞子女王(ていしじょおう、1750年4月3日寛延3年2月27日) - 1820年9月28日文政3年8月22日[1])は、江戸時代中期の女性。清水徳川家初代当主・徳川重好正室。院号は貞章院(ていしょういん)。

生涯

伏見宮貞建親王の第6王女として生まれる[1]。幼称は田鶴宮[1]1763年宝暦13年)、清水徳川家初代当主の徳川重好の正室となった[1]1795年寛政7年)重好の死後、仏門に入って貞章院と号した[1]

1820年文政3年)、死去。諡号は貞章院心月妙観大姉[2]

脚注

  1. ^ a b c d e 貞子女王』 - コトバンク
  2. ^ 小畠文鼎『万年の翠 : 相国寺小史』大本山相国寺事務所、1923年、p.62。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  貞子女王_(徳川重好室)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「貞子女王_(徳川重好室)」の関連用語

貞子女王_(徳川重好室)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



貞子女王_(徳川重好室)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの貞子女王 (徳川重好室) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS