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誠勲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/07 00:36 UTC 版)

誠勲(せいくん、道光28年(1848年) - 宣統7年5月14日1915年6月22日))は、の人物。果泉

生涯

満州正紅旗人イルゲンギョロ氏(irgen-gioro hala、伊爾根覚羅氏)。

一品蔭生の出身で、同治3年(1864年)に六部郎中分部学習行走となり、光緒2年(1876年)に兵部郎中中国語版に任じられた。光緒8年(1882年)から光緒11年(1885年)にかけて坐糧庁中国語版の監督を務めたが、光緒12年(1886年)に山東督糧道に転じた。同年から翌光緒13年(1887年)にかけて直隷大順広道中国語版按察使も加えられ、光緒13年から光緒17年(1891年)にかけて奉天奉錦山海道に任じられた。以降も江西広饒九南道・浙江寧紹台道[1]・江蘇按察使・浙江布政使・護理浙江巡撫[2]・安徽巡撫・江寧将軍・広州将軍・チャハル(察哈爾)都統[3]・熱河都統を歴任し、宣統3年(1911年)には慶親王内閣弼徳院中国語版顧問大臣に任じられた。

宣統7年5月14日(1915年6月22日)、68歳で死去した。

出典

  1. ^ 清実録』徳宗景皇帝実録 巻四百七十六
  2. ^ 『清実録』徳宗景皇帝実録 巻五百十四
  3. ^ 『清実録』徳宗景皇帝実録 巻五百六十九



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