許 蘭雪軒とは? わかりやすく解説

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許蘭雪軒

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/04 01:20 UTC 版)

許 蘭雪軒(きょ らんせつけん、ホ・ナンソロン、허난설헌1563年 - 1589年)または蘭雪軒 許氏(らんせつけん きょし、ナンソロン・ホシ、난설헌 허씨)は、李氏朝鮮時代の女流詩人。本名は許楚姫(きょ そき、ホ・チョヒ、허초희)。蘭雪軒は。蘭雪とも。景樊[1][2](けいはん、ギョンボン、경번)。本貫陽川許氏江陵出身。弟はハングル最古の小説「洪吉童伝」の作者許筠(きょ いん、ホ・ギュン)。


  1. ^ 허경진 『許蘭雪軒 詩集』〈韓國의 漢詩〉10 평민사、1999年、6頁、「초판 머리말(初版まえがき)」
  2. ^ a b c 許蘭雪軒 (1608?). “詩集 [蘭雪軒詩(Nansŏrhŏn si) (朝鮮許蘭雪撰)]” (中国語英語). 明清婦女著作/Ming Qing Women's Writings. 明清婦女著作數字計劃/Ming Qing Women's Writings Digitization Project. マギル大学マギル図書館デジタル主導課. 2019年1月21日閲覧。
  3. ^ 上掲、허경진、1999年、213頁、「해설 정한의 여인 난설헌의 삶과 시(解説 情恨の女性 蘭雪軒の生と詩) / 4. 선녀 난설헌의 하늘나라(4. 仙女 蘭雪軒の天の国)」。
  4. ^ 女性による詩作を“恥”と感じた家族が焼き捨てたとする説と同時に、死後その詩が人目に触れるのを恐れた蘭雪軒自身が遺言したという説がある。
  5. ^ 上掲、허경진、1999年、220頁、「연보(年譜)」。
  6. ^ 則天武后の息子李賢が、兄の李弘に続いて、母からの毒殺を恐れて作ったと伝えられる歌。「黄台瓜辞」とも言い、『旧唐書巻116に収録されている。内容は、
    種瓜黄臺下,瓜熟子離離。一摘使瓜好,再摘令瓜稀,三摘猶尚可,四摘抱蔓歸。
    (瓜を種(う)う 黄台の下、瓜 熟して 子 離離たり。一たび摘むのみならば瓜をして好(よ)からしむるに、再び摘まば瓜をして稀ならしめ、三たび摘まば猶尚(なおなお)可なるも、四たび摘まば蔓を抱きて帰らん。)
    訳「黄台の下に瓜を植えて、瓜が熟する頃には実がどっさり。1度取るだけなら瓜には良いが、2度取ったら瓜は減り、3度取った時はそれでも大丈夫だったのだが、4度取ったらだけ残った。」

    李賢『旧唐書』巻116より)

    というものである。たくさん子どもがいるからと言って、殺して心は痛まないのかという非難を込めたものである。この許蘭雪軒の「哭子」では、この「黄台詞」というキーワードが、まだまだ子どもが生まれるからと言って、死んだ子どもたちはかけがえのない存在だったという意味で用いられている。


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