見よ、飛行機の高く飛べるを
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見よ、飛行機の高く飛べるを | |
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作者 | 永井愛 |
国 | ![]() |
言語 | 日本語 |
ジャンル | 学園ドラマ |
発表年 | 1997年 |
初出情報 | |
初出 | 舞台公演 |
刊本情報 | |
出版元 | 而立書房 |
出版年月日 | 1998年10月25日 |
総ページ数 | 184 |
id | ISBN 978-4-88059-257-2 |
初演情報 | |
場所 | 本多劇場 |
初演公開日 | 1997年10月10日 |
劇団 | 劇団青年座 |
受賞 | |
芸術選奨文部大臣新人賞 | |
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『見よ、飛行機の高く飛べるを』(みよ、ひこうきのたかくとべるを)は、永井愛作の戯曲。1997年初演。永井は本作品と『ら抜きの殺意』により芸術選奨文部大臣新人賞を受賞した[1]。4半世紀以上にわたり、様々な劇団、また学生演劇部によって上演され続けている[2][3][4]。1998年に而立書房より出版された[5]。
物語の背景
1911年(明治44年)5月、日本で国産民間機の初飛行が成功し[6]、翌6月に石川啄木は「飛行機」という詩を書いた[7]。永井は、この啄木の詩の一節をタイトルとし、祖母の永井志津と市川房枝の交流を題材にして[8]、本作品を書き下ろした。初演は1997年(平成9年)。物語の背景は下記のとおり。
1909年(明治42年)4月、市川房枝は愛知県額田郡岡崎町(現・岡崎市六供町)にあった愛知県第二師範学校女子部に入学した[9]。当時、師範学校は月謝がなく、寄宿舎の費用も無料であった。かつ卒業後は5年間、県内の小学校に勤務する権利と義務が与えられていた[10]。その岡崎の師範学校の1年上級に永井志津がいた。市川は志津に「自分はいつか、全国女教員の読む雑誌を出したいと思っている。力強い文章を書くには、どうしても漢文が必要だ。いっしょに勉強をしないか」と言った[11][12]。それから毎夕食後、市川と志津は作法室に行き、『日本外史』などから読み始めた。志津によれば、いつも雑談に花が咲いてしまい、折角の勉強もあまり実らなかったが、市川が志津の入っている弓術部に顔を出したりして、二人は親しくなっていったという[11]。
4年目の1912年(明治45年)4月、西春日井郡金城村(現・名古屋市西区天神山町)に愛知県女子師範学校が新設され[13][14]、市川も下級の3年生、2年生とともに同校に移った。新任の校長は植物学者の郷野基厚だった[10][15]。郷野の推し進める良妻賢母教育に反発していた市川は同年7月、ついに同級生28人と授業ストライキを実施し、28か条の要求書を提出した[9][10]。
あらすじ
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主な公演
初演は1997年10月。劇団青年座によって行われた[17]。それぞれの劇団によって物語の場所は異なり、岡崎市とするものもあれば、名古屋市とするものもある[18][1]。
主催 | 期間 | 会場 | 演出 | 出演 | 出典 |
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劇団青年座 | 1997年10月10日 - 19日 | 本多劇場 | 黒岩亮 | [17] | |
1999年8月7日 - 11日 | 紀伊國屋サザンシアター | 黒岩亮 | 麻生侑里、松熊明子 | ||
2014年5月10日 - 18日 | 本多劇場 | 黒岩亮 | 安藤瞳、小暮智美 | [19] | |
2017年2月、3月 | 旭川市民劇場(2月20日 - 21日) 練馬区立練馬文化センター(2月28日、3月1日) 會津風雅堂(3月4日) |
黒岩亮 | 安藤瞳、小暮智美 | [8][20] | |
世田谷パブリックシアター | 2004年11月 | 世田谷パブリックシアター(1日 - 24日) 水戸芸術館ACM劇場(27日 - 28日) |
アントワーヌ・コーベ | 井川遥、魏涼子 | [21] |
ぱれっと | 2007年2月8日 - 12日 | 俳優座劇場 | 越光照文 | 国分佐智子、宮本真希 | [22] |
ニコニコミュージカルワークショップ | 2011年9月21日 - 25日 | テアトルBONBON | 茅野イサム | 吉留明日香、藤田知美 | [23] |
桐朋学園芸術短期大学 | 2014年9月12日 - 15日 | 東京芸術劇場シアターイースト | 越光照文 | [1] | |
ことのはbox | 2018年2月14日 - 18日 | シアターグリーン BOX in BOX | 酒井菜月 | 春名風花、廣瀬響乃 | [24] |
2019年3月13日 - 17日 | 中目黒キンケロ・シアター | 酒井菜月 | 廣瀬響乃、小野寺ずる | [25] | |
2024年3月28日 - 31日 | 東京芸術劇場シアターウエスト | 酒井菜月 | 清水麻璃亜、石森咲妃 | [26] | |
劇団皆奏者 | 2023年11月24日 - 26日 | 大阪市立芸術創造館 | 神崎真 | 桜糀るな、野口萌花 | [4] |
悪童会議 | 2025年5月21日 - 25日 | こくみん共済 coop ホール/スペース・ゼロ | 茅野イサム | 七木奏音、今村美歩 | [27] |
脚注
- ^ a b c “「見よ、飛行機の高く飛べるを」”. 東京芸術劇場. 2024年2月12日閲覧。
- ^ “山桜会総会・懇親会のご案内”. 追手門学院校友会 山桜会オフィシャルウェブサイト. 2024年2月12日閲覧。
- ^ “向陽高校演劇部校外公演「見よ、飛行機の高く飛べるを」”. 和歌山県立向陽高等学校. 2024年2月12日閲覧。
- ^ a b “劇団皆奏者 第九公演『見よ、飛行機の高く飛べるを』”. 大阪市立芸術創造館. 2024年2月12日閲覧。
- ^ “戯曲(日本)02 永井愛”. 而立書房. 2024年2月12日閲覧。
- ^ “第1章 日本人、初飛行へ”. 国立国会図書館. 2024年2月12日閲覧。
- ^ “石川啄木『呼子と口笛』”. 青空文庫. 2024年2月12日閲覧。
- ^ a b “見よ、飛行機の高く飛べるを”. 旭川市民劇場. 2024年2月12日閲覧。
- ^ a b 『市川房枝集 別巻』, pp. 111–112.
- ^ a b c 『市川房枝自伝 戦前編』, pp. 15–21.
- ^ a b 『市川房枝というひと―100人の回想』, pp. 179–182.
- ^ 伊藤康子. “愛知の草創期女性新聞記者 ―市川房枝を中心に―”. 愛知県史研究. 2024年2月10日閲覧。
- ^ 『愛知教育大学史』愛知教育大学、1975年3月20日、849頁。
- ^ “学校案内”. 愛知県立名古屋西高等学校. 2024年2月12日閲覧。
- ^ “愛媛県史 人 物(平成元年2月28日発行)”. 愛媛県生涯学習センター. 2024年2月12日閲覧。
- ^ 『決定版 昭和史 第3巻』毎日新聞社、1984年8月30日、138頁。
- ^ a b “見よ、飛行機の高く飛べるを”. 早稲田大学文化資源データベース. 2024年2月12日閲覧。
- ^ “見よ、飛行機の高く飛べるを”. Japan Digital Theatre Archives. 2024年2月12日閲覧。
- ^ “見よ、飛行機の高く飛べるを”. 劇団青年座. 2024年2月12日閲覧。
- ^ “見よ、飛行機の高く飛べるを”. 會津風雅堂. 2024年2月12日閲覧。
- ^ “見よ、飛行機の高く飛べるを”. 水戸芸術館. 2024年2月12日閲覧。
- ^ “ぱれっとプロデュース公演 見よ、飛行機の高く飛べるを”. CoRich舞台芸術!. 2025年5月13日閲覧。
- ^ “ニコニコミュージカルワークショップ 第二回アトリエ公演 見よ、飛行機の高く飛べるを”. CoRich舞台芸術!. 2025年5月13日閲覧。
- ^ “ことのはbox「見よ、飛行機の高く飛べるを」再演に春名風花、廣瀬響乃ら”. ステージナタリー (2018年1月11日). 2018年5月2日閲覧。
- ^ “第9回公演『見よ、飛行機の高く飛べるを』”. ことのはbox公式サイト. 2024年2月12日閲覧。
- ^ “見よ、飛行機の高く飛べるを 2024/03/28(木)~2024/03/31(日)”. チケット GETTIIS. 2024年3月11日閲覧。
- ^ “演劇ユニット悪童会議 第三回公演は永井愛の名作『見よ、飛行機の高く飛べるを』上演”. シアターテイメントNEWS (2025年1月20日). 2025年5月13日閲覧。
参考文献
- 永井愛『見よ、飛行機の高く飛べるを』而立書房、1998年10月25日。 ISBN 978-4-88059-257-2。
- 市川房枝『市川房枝自伝 戦前編』新宿書房、1974年9月1日 。
- 市川房枝『市川房枝集 別巻』日本図書センター、1994年11月25日。 ISBN 978-4820571964。
- 「市川房枝というひと」刊行会 編『市川房枝というひと―100人の回想』新宿書房、1982年9月15日。
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