西阿知和城とは? わかりやすく解説

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西阿知和城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/02 05:06 UTC 版)

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西阿知和城
愛知県
城郭構造 平城(方形居館
天守構造 なし
築城主 松平信季?
築城年 不明(15世紀代?)
主な城主 松平(阿知和)信季
廃城年 不明
遺構 不明(埋没?[1]
指定文化財 未指定
位置 北緯34度59分35.5秒 東経137度10分34.7秒 / 北緯34.993194度 東経137.176306度 / 34.993194; 137.176306 (西阿知和城)座標: 北緯34度59分35.5秒 東経137度10分34.7秒 / 北緯34.993194度 東経137.176306度 / 34.993194; 137.176306 (西阿知和城)
地図
西阿知和城
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西阿知和城(にしあちわじょう)は、三河国阿智波郷(現愛知県岡崎市西阿知和町)にあった日本の城。阿知和氏の居館。

概要

矢作川の支流である青木川と真福寺川の合流点に突き出した標高40メートル(周囲の低地との比高差10メートル)の低台地上に位置し、真言宗寺院の古城山大照院とその周辺が城跡と考えられている[1]。方形居館と考えられているが、単郭ではなく複数の郭(曲輪)を持っていた可能性があるという[2]

矢作川流域では、村落規模の国人らの城館跡が「古屋敷」などの地名として残っていることがあるが[2]、西阿知和城伝承地にも「城下」や「元屋敷」「居屋敷」などの小字が残る[1]

築城~存続年代等は不明だが、15世紀松平氏宗家の3代目松平信光の弟・松平信季が在城して阿知和氏を名乗り、代々居住したと伝わる[3]

脚注

  1. ^ a b c 文化財図書普及会編 1997 p.224
  2. ^ a b 文化財図書普及会編 1997 pp.194-195
  3. ^ 平井ほか 1979 p.319

参考文献

  • 平井聖ほか 1979「西阿知和城」『日本城郭大系』第9巻(静岡・愛知・岐阜)新人物往来社 p.319
  • 文化財図書普及会編 1997『愛知県中世城館跡調査報告Ⅲ(東三河地区)』 (愛知県教育委員会編 2001『都道府県別・日本の中世城館調査報告書集成』第10巻〈中部地方の中世城館4-愛知-〉所収)
    • 「額田の諸城」pp.194-197
    • 「西阿知和城」 p.224

関連項目




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