被災地の遺棄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 07:56 UTC 版)
被災地の被害があまりにも大きいと、被災地を放棄する場合がある。ローマ帝国ヴェスヴィオ火山の麓のポンペイは79年8月24日の噴火で町は火山灰に覆われ、その後、誰も戻らなかった。1986年4月26日にソビエト社会主義共和国連邦ウクライナ共和国で起きたチェルノブイリ原子力発電所事故では周辺住民40万人が避難し、町は放棄された。この他に、日本国内でも水害や土石流が原因で村が放棄された例がある。
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