藤原有家 (中御門流)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/05 15:30 UTC 版)
藤原 有家(ふじわら の ありいえ、生没年不詳)は、平安時代後期の貴族。藤原北家中御門流、権中納言・藤原能季の子。官位は正四位下・右近衛少将。
経歴
白河朝の承保2年(1075年)右近衛少将に任ぜられる。その後、応徳3年(1086年)以前に従四位上、康和2年(1100年)正四位下と少将を務めながら昇進した。またこの間、近江介・播磨権介など地方官も兼帯している。
その後、30年の長きに亘って少将を務め、康和2年(1100年)正四位下に叙せられているが、中将への昇任はならなかった。結局、長治2年(1105年)少将を辞したと見られ、のち近江介のみを帯びた。
官歴
- 時期不詳:従五位下
- 承保2年(1075年) 正月28日:右近衛少将、見従五位下[1]
- 応徳3年(1086年) 11月26日:見右近衛少将従四位上[2]
- 寛治2年(1088年) 12月25日:左近衛少将[3]
- 寛治3年(1089年) 正月28日:兼近江介[1]
- 嘉保2年(1096年) 2月12日:兼見播磨権介[4]
- 承徳3年(1099年) 正月22日:止近江介?[1]
- 康和2年(1100年) 6月19日:正四位下[5]
- 康和5年(1103年) 2月30日:兼近江介[6]
- 康和6年(1104年) 正月28日:右近衛少将[1]
- 長治2年(1105年) 3月16日:辞少将?[1]
- 長治3年(1106年) 正月1日:見近江介[7]
系譜
『尊卑分脈』による。
- 父:藤原能季
- 母:源信房の娘
- 妻:藤原知綱の娘
- 男子:藤原能忠
脚注
参考文献
- 藤原有家_(中御門流)のページへのリンク