藤原公直
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/13 03:43 UTC 版)
|
|
---|---|
時代 | 鎌倉時代中期 - 後期 |
生誕 | 承久元年 (1219年) |
死没 | 弘安元年7月3日 (1278年7月23日)以降? |
改名 | 公直→道照(法名) |
官位 | 従二位、非参議 |
主君 | 後堀河天皇→四条天皇→後嵯峨天皇→後深草天皇→亀山天皇→後宇多天皇 |
氏族 | 藤原北家閑院流徳大寺家 |
父母 | 父:藤原実忠、母:藤原家経の娘 |
妻 | 源有資の娘 |
子 | 庭田経資、公員 |
藤原 公直 (ふじわら の きんなお)は、鎌倉時代中期から後期にかけての公卿。藤原北家閑院流。左近衛中将・藤原実忠の長男。官位は従二位・非参議。
経歴
従三位、右近衛中将を経て、康元元年(1256年)38歳で非参議に任ぜられ、公卿に列する[1]。正嘉3年(1259年)正三位、文永4年(1267年)従二位と昇進し、弘安元年(1278年)60歳で出家[1]。出家後の消息は不明。
官歴
『公卿補任』による
- 時期不詳:従三位、右近衛中将
- 康元元年(1256年) 12月17日:非参議
- 正嘉3年(1259年) 正月21日:正三位
- 文永4年(1267年) 2月27日:従二位
- 弘安元年(1278年) 7月3日:出家(法名道照)
系譜
注釈
- 藤原公直のページへのリンク